2014-01-01から1年間の記事一覧
開始早々Aグループの審査で、志村けんの口から「わかりやすさ」というキーワードが出た時点で、この大会の審査基準は「わかりやすさ」に決定したように思う。笑いに限らずあらゆるエンターテインメントに当てはまることだが、「わかりやすさ」と「面白さ」は…
ようやくラジオパーソナリティとしてのふかわりょうが帰ってきた。 8年半続いた『ROCKETMAN SHOW』が9月末をもって終了となり、10月からはじまったふかわりょうの新番組『life is music』。4時間が2時間になり、1:00開始が3:00開始になり、生放送が録音にな…
黒田官兵衛という男は、運良く華々しい戦国期のピークを生きた。信長・秀吉・家康という実質的な天下人三名と関わりを持った戦国武将は、あまり多くない。官兵衛は三つの時代を生きた。 と、後世に生きる我々から見ればそう見えるが、自分に置き換えて考えて…
今年は新顔が多く、明らかに審査員席のほうが豪華に見えたが、全体のレベルとしては例年と比べても遜色なかったと思う。 むしろ違いが大きかったのは、今年から大幅にリニューアルされた審査方法。1対1対戦のノックアウト方式になったことで大量の死票が生ま…
ある番組の終了をきっかけに、ラジオと時間について考えてみたいと思う。ここで言う「時間」とは、放送時間帯というよりは、番組そのものの「尺」つまり「長さ」を指す。いや時間帯のことも、ちょっとは関係あるかもしれない。 9月27日深夜、「ロケットマン…
「隣の芝生は青く見える」とは言うものの、果たしてテレビとラジオは、本当に隣人なのだろうか? その両者にはどれほどの親和性があって、どこまで交換可能なのだろうか? もし隣人であったとしても、ハリウッドスターの豪邸と浪人生アパートの一室くらいサ…
『日刊サイゾー』で連載していたラジオ批評コラム「逆にラジオ」のアーカイブです。 毎回こちらのブログに、ラジオコラムのあとがき的なサムシングを書いています。 とはいえ、単にあとから書いたから「あとがき」というだけで、内容的にはこちらも「本気書…
テレビドラマの個性というのは、コメディとシリアスの配合比率によって決定される。 と言ったら明らかに言いすぎだが、視聴者それぞれに好みの配合比率があり、近ごろは作り手の側でもベストな比率をあれこれ模索している感が強い。昔のドラマはそれが自然な…
しょっぱなから圧倒的な情念を感じるドラマである。渦巻いている、という言葉がこれほどふさわしいドラマは久しぶりかもしれない。どこもかしこも葛藤まみれの構図。それは言い替えれば古典的であるとも正統派であるとも言える。 そもそもが1966年に放送され…
初回2時間SPは、今どきのドラマにしてはさほど過剰な演出もなく、現実と非現実の狭間をピンポイントで突いた宮部みゆきの原作力を感じさせる充実した内容。 ただしメインとなる事件がバスジャックということで、当然だが中盤からバス内部のシーンが延々と続…
原作/天童荒太、脚本/大石静。 とにかく主演の松雪泰子が怖い。出演者全員が怖い。いや伊藤淳史だけが救いとして用意されており、通気孔のような働きをしている。 脚本も演出も、とにかく怖がらせる方向へと迷いなく徹底されている。明るい出来事があった…
とにかく何もかもが重厚なドラマで、「映画の基準をテレビドラマに持ち込んでやる」というスタッフの気概を感じるドラマだった。重量感のある演出、容赦ないアクション、脇役陣の怪演、作り込まれたシナリオなど、あらゆる面で他のテレビドラマとは一線を画…
漫才コンビのボケとツッコミは、どうやら歳を取ると入れ替わることがあるらしい。 今日の『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』には、ツービートがゲスト出演。この番組にはこれまでにも、たけしが単体でゲスト出演したことはあるが、二人揃っての出演は初めて。…
「くだらなさ」の中にある「本質」。「本質」の中にある「くだらなさ」。それらが入れ替わり立ち替わり現れ、観る者の価値観の壁を叩いては逃げてゆく。その揺さぶり方は常に悪戯心にあふれ、ピンポンダッシュ的なスリルを伴う。尻尾を捕まえようと思えば捕…
二人の鋭敏な言語感覚はもちろん、相変わらず場面設定が魅力的。特にラストの「虹太郎遊技場」のような、「ルールのよくわからない場所」はまさに大竹ワールド。そこは因果律の狂った世界。当たり前のことが当たり前でなく、説明すべきところに説明はなく、…
長寿番組の32年間を締めくくる大団円であるというのに、実のところ「ダウンタウンと爆笑問題の邂逅」という裏テーマの方にばかり気を取られていたのだが、結果としてもっとも印象に残ったのはSMAP中居正広のスピーチだった。だがそうした思いがけぬ山場が何…
3/31(月)の『笑っていいとも!』最終回のテレフォンショッキングのゲストが、ビートたけしであることが発表された。各メディアの様々な憶測に比べると、正直これは想定内の着地点と言わざるを得ない。近年は『27時間テレビ』における絡みも毎年のようにあ…
タイトルの気まぐれフレンチ感は真の気まぐれに過ぎずシェフにあらず。本題へ。 ラジオ春の改編の一番大きなものといえば、毎年結局のところ「ナイター中継開始」ってことになってしまい、大幅な枠を野球中継に奪われながらもその隙間で細々と冒険実験する、…
AmazonのKindleストアにて発売中の電子書籍『悪戯短篇小説集 耳毛に憧れたって駄目』が、このたびiOS(iPhone、iPad、iPod Touch)対応になりました。もちろんKindleやAndroid携帯でも読めます。ただし男子の裸を見て見ぬふりするために両手で顔を覆っている…
設定の自由度が高いからといって自由にできるとは限らない。自由は時に足枷となる。 『THE MANZAI』や『キングオブコント』に比べ、ジャンル的には遙かに自由度が高い大会であるにもかかわらず、結局のところ毎度「あるある+α」の範囲内における勝負になり…
もうひとつのブログ『泣きながら一気に書きました』に掲載していた悪戯な短篇小説らをこのたび一斉召集し、電子書籍化しました。 「お笑い好きがお笑い好きに向けて書いた小説」という意味では、この批評ブログを読んでくださっている方にも楽しんでいただけ…
圧倒的に「純度」の高い笑いの空間だった。「純度」というのは、たとえば「純文学」や「純喫茶」というような意味における「純度」であり、言うなればこれは「純コント」である。 「純度が高い」というのはつまり、ここには笑い以外何もないということだ。い…
ドラマには、見せたほうがいい部分と見せないほうがいい部分がある。当然だが物語というのは、「描かれる部分」と「描かれない部分」によってできている。そこには「描かれない部分」というのが少なからずあり、「何を描くか」というのはつまり「何を描かな…
東京ダイナマイトは凄腕の気まぐれシェフである。「いいかげん」と「好い加減」が同じ意味になり得るということを、彼らのネタはいつも如実に証明する。 お笑いに限らず表現というものは、いつも「自由度」と「完成度」の間で揺れている。そもそも「どちらを…