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『MOZU Season1~百舌の叫ぶ夜~』

とにかく何もかもが重厚なドラマで、「映画の基準をテレビドラマに持ち込んでやる」というスタッフの気概を感じるドラマだった。重量感のある演出、容赦ないアクション、脇役陣の怪演、作り込まれたシナリオなど、あらゆる面で他のテレビドラマとは一線を画すこだわりに貫かれている。

だがその重厚さというのは、実のところ「クドさ」や「とっつきにくさ」という問題点にも直結している。

毎度繰り返される、「俺はただ本当の真実を知りたいだけだ」という、決め台詞にしてはインパクトに欠けるリフレイン。そして個々のシーンを重要に作り込みすぎるあまり、複雑でありながら遅々として進まぬ展開。

映画と違い、一気に見せることができないがゆえの工夫として、ひとつの決め台詞で1週間のブランクを埋め、瞬時に前話までとのつながりを意識させようという狙いは理解できる。だがさすがにその肝心の決め台詞自体が普遍的な言葉でありすぎて、この重厚な物語固有の縦糸を担うには荷が重すぎた。

「俺はただ本当の真実を知りたいだけだ」という主人公の決め台詞は、正直どのドラマにも当てはまってしまうレベルのアバウトなメッセージでしかなく、ということはつまり万人に向けて開かれた言葉ではあるわけだが、だからといって初心者を中途から引き込む入口として機能していたとは思えない。開かれすぎた言葉というのは、つまりはありがちな言葉ということでもあって、吸引力に欠ける。キャッチーであるというのは、単にわかりやすいということでもありがちであるということでもない。

作り込まれたシナリオに関しては、同じくTBSドラマの『クロコーチ』で既視感のある展開であったとはいえ、充分に魅力的であった。だが展開の遅さというのは、今のテレビドラマにとっては致命的な要素なのかもしれない。今のドラマ視聴者はおそろしく性急である。

特に物語中盤において、さほど状況に進展のない場面が続いた。複雑なストーリーの割には展開に乏しく、視聴者にもたらされる状況がなかなか更新されていかないという、不思議な歯痒さを感じることが少なくなかった。

だが一方で、スリリングなアクションの見せ場が長尺で用意され、それが作品の魅力の骨格をなしていると感じられる部分もあって、逆に言えばそういった見せ場を重厚に見せたいがために、物語の進行スピードを犠牲にしたとも言える。もちろん、Season2があらかじめ用意されていたということもあって、シナリオの消耗を避けるために物語全体を引き延ばしたかったという、のっぴきならない事情も透けて見えるが。

本作一番の魅力は、警備会社内の暗殺組織を動かすNo.2、中神甚役を演じた吉田鋼太郎の鬼気迫る怪演だろう。悪役は言うまでもなく人を不快にさせる必要があるが、その傲慢かつ残忍な口調から心ない一挙手一投足に至るまで、ここまでいけすかない悪役には滅多にお目にかかれるものではない。ローキックのフォーム一発でここまでのチンピラ感を出せる役者はなかなかいるものではない。伝説の「長渕キック」以来のおそるべきチンピラキックである。中神が生き残っていれば後半はもっと面白くなったのではないか。

Season1の結末に関しては、ストンといくほど腑に落ちず、気になるほどには謎めかず。やや中途半端な落としどころという印象を受けた。続編あるがゆえの難しさを如実に感じさせる終わりかたで、もっと徹底的に説明して謎を晴らすか、あるいはすべてを投げっぱなしにして煙に巻いて終わるか、どちらかの思い切りが欲しかったような気もする。だがやはりSeason2がある以上は、バランスを取らざるを得なかったのだろう。

ちなみに視聴率は、最終回手前の第9話が7.7%、最終話が13.8%。全体の平均は約11%。最後だけ見ればいいやという人が半分近くいることに驚くが、あるいは普段は録画して観ている人たちが、最終回だけは生で観ようと頑張った、ということなのかもしれない。

思いのほか全体の数字が伸びなかったのは、視聴者が複雑な設定についていけなかったか、展開のスピード感のなさに業を煮やしたか、あるいは殺伐とした雰囲気がお茶の間にそぐわなかったか。流血シーンに容赦がないあたりもまさに映画的だったが、映画だとR指定が入ったのではないか。

とはいえ最終回にここまで数字的に盛り返すというのも、あまり例がないような気がする。「ドラマに映画的手法を持ち込む」ことの可能性と限界を考えるうえで、非常に興味深くチャレンジングな作品だった。ただし「続きはWOWOWで」ってのは、あんまりだ。