テレビに耳ありラジオに目あり

テレビ/ラジオを自由気ままに楽しむためのレビュー・感想おもちゃ箱、あるいは思考遊戯場

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2023年春ドラマ傾向と対策


【月曜日】
◆『風間公親-教場0-』(フジテレビ/月曜21時/木村拓哉主演/4月10日スタート)
www.fujitv.co.jp

過去に二回スペシャルドラマとして放送された木村拓哉主演作品が、満を持しての連続ドラマ化。

《あの最恐の教官はいかにして誕生したのか?》という公式HPの文言からすると、冷酷無比で強烈な存在感を放つ警察学校の教官・風間公親の過去を溯って描く、いわば「エピソード0」的な作品になるのだろうか。事前にパイロット版のあるドラマの連続化としては、わりと珍しい形式であるかもしれない。

言われてみれば風間ほどに底が知れぬキャラクターも珍しく、ここへ来てそこにフォーカスしたシリーズを放つというのは、まさにここからが本番であり、ここにこそ主人公及び作品の本質が隠されていると思わせる。

そもそも「何をやってもキムタク」と言われがちであった昨今において、木村拓哉とスタッフが意欲的に新境地を開拓してみせたおそらくは渾身の作であり、脚本も『踊る大捜査線』シリーズを手掛けた君塚良一

よほどの失策がない限り、そのクオリティに間違いはないと思われる。


◆『合理的にあり得ない~探偵・上水流涼子の解明~』(カンテレ・フジテレビ/月曜22時/天海祐希主演/4月17日スタート)
www.ktv.jp

高IQを持つ天才バディとの探偵モノ――というのはいかにもありがちでフックの乏しい設定だが、こういう作品はえてして解法の鮮やかさよりも、バディを組む二人の空気感が魅力的であるかどうかにかかっている。

タイトルからすると前者の謎解き要素を重視しているように見えるが、果たして二人の人間的魅力が前面に出てくるかどうか。


【火曜日】
◆『unknown』(テレビ朝日/火曜21時/高畑充希田中圭主演/4月18日スタート)
www.tv-asahi.co.jp

公式HPにある《2人の深い愛を描くラブストーリーに、予測不能な連続殺人事件が絡み合う壮大な≪ラブ・サスペンス≫》というフレーズを信じるならば、近年の名作『最愛』を思い浮かべるが、あそこまでのクオリティを期待して良いものかどうか。

おっさんずラブ』の制作陣が手掛けているというのも、ある種の期待にはつながるにしても、方向性的にはプラスなのかマイナスなのかわりと未知数であるような。

個人的にはダブル主演のキャスティングとシリアスな物語設定があまり噛みあっていないような気がするが、当たれば深いジャンルではあるので、どのような雰囲気が作り出されるのかに注目している。


◆『王様に捧ぐ薬指』(TBS/火曜22時/橋本環奈主演/4月18日スタート)
www.tbs.co.jp

古典的な少女漫画的シンデレラストーリーで、全体として重みと深味と新鮮味に欠ける第一印象。

花より男子』の夢よもう一度という狙いはわかるが、それにしてもどこで違いを生み出そうとしているのかが見えてこない。


【水曜日】
◆『それってパクリじゃないですか?』(日本テレビ/水曜22時/芳根京子/4月12日スタート)
www.ntv.co.jp

知的財産権をテーマに持ってくるというニッチな設定だが、そういえば『石子と羽男』にもそういう話があったような気がするし、弁護士ドラマだと一話くらいはそういう問題が取り上げられるイメージ。

本作はそこに的を絞ったうえで、弁護士ではなく弁理士が主人公というところに新しさを感じるか狭さを感じるか。

設定の狭さゆえに、後半飽きてくるような気配はそこはかとなくある。


◆『わたしのお嫁くん』(フジテレビ/水曜22時/波瑠/4月12日スタート)
www.fujitv.co.jp

こちらは『私の家政夫ナギサさん』の歳下夫版?――とすぐに思い浮かぶが、考えてみればこちらのほうが形としてはまだ普通であるのかもしれない。むしろあれだけ歳上の家政夫のほうが珍しいわけで、それがあのドラマの新鮮さにつながっていたのだと思う。

それどころかすでに『家政夫のミタゾノ』に観慣れているファンとしては、これくらいだとさすがにインパクト不足ではある。もちろん勝負どころは全然違うところにあって、『逃げるは恥だが役に立つ』の逆転バージョンを狙っていたりするのだろうが……(自分が発案者だったら、企画書にそう書くかもしれない)。


【木曜日】
◆『ケイジとケンジ、時々ハンジ。』(テレビ朝日/木曜22時/桐谷健太/4月13日スタート)
www.tv-asahi.co.jp

今回は公式HPからの引用フレーズが多くて恐縮だが、そこに制作者サイドの思いが表れていることが多いのも事実なのでまた引用してみる。

こちらのイントロダクションの冒頭に書かれているのは、《刑事ドラマのその先、もっと先へ!!》という力強い一行。逆に言えば、刑事ドラマというジャンルがいかに定番の壁にぶち当たっているのかが透けて見える。なんとかそのジャンルを押し広げたいという使命感は、あらゆるドラマ制作者が感じているはず。

そこに本作は『HERO』の福田靖脚本により、検事視点を導入するという新たな配合実験に取りかかっているように見える。そしてさらに判事(裁判官)を加えた三つ巴の様相。

似て非なる三者の立場がどのようなドラマを生み出すのか興味深いが、それはあくまでも構図的な楽しみであって、要は中身の人間ドラマ次第と言ってしまえば身も蓋もないのだが。


◆『あなたがしてくれなくても』(フジテレビ/木曜22時/奈緒主演/4月13日スタート)
www.fujitv.co.jp

このタイトルを見て真っ先に、あの東出昌大の怪演が話題を呼んだドラマ『あなたのことはそれほど』を思い出したが、どうやらその続編というわけではないらしい。局も原作者も違うし、似ているのは題名の響きだけのようだ。

木曜10時のフジテレビといえば『昼顔』枠だよなぁ、といつも思うのだが、今回はまさにそのプロデューサーと演出のタッグ。

となるとどうしても比較されることになってしまいそうだが、方向性に迷いは感じられない。


【金曜日】
◆『弁護士ソドム』(テレビ東京/金曜20時/福士蒼汰/4月28日スタート)
www.tv-tokyo.co.jp

リニューアルされたテレ東夜8時枠の第一弾。福士蒼汰演じる主人公は「加害者専門の悪徳弁護士」とのことで、『クロサギ』のように善悪のねじれた設定だが、それにしても題名が無闇に怖い。

テレ東ならではの冒険心が、深夜だけでなくゴールデン帯のドラマにも発揮されるのをそろそろ観たい。


◆『ペンディングトレイン ―8時23分、明日 君と』(TBS/金曜22時/山田裕貴/4月21日スタート)
www.tbs.co.jp

「タイムスリップ×サバイバル」という、少し前の流行を掛けあわせたようなフィクション強めの設定。あらすじを見る限り、昔で言うところの『漂流教室』のような。

連続ドラマの限られた予算内で、どのような未来を見せてくれるのか。設定の大きさゆえに期するところは大きいが、安っぽくなる懸念もある。

キャストは山田裕貴赤楚衛二といったいま旬の俳優陣に、抑えの杉本哲太というバランスの取れた布陣。

ありがちな設定でないわけではないが、それでも他のドラマたちに比べれば頭ひとつ抜けたスケール感。その冒険心にとりあえず期待。


◆『波よ聞いてくれ』(テレビ朝日/金曜23時15分/小芝風花主演/4月21日スタート)
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個人的にラジオが好きなところへ、原作者・沙村広明の描く現代劇のユーモア、そこに小芝風花の演技力が掛け算されるとなれば、面白くならないはずがないように思える。

この作品に関してはむしろ、原作や脚本というよりも、演出の加減が肝になってくるような予感が。深夜ドラマならではのニッチなノリを強調するのか、本格的に作り込むのか。

深夜はわりとノリが上滑りするパターンも多いので、どこまで原作の空気感を生かせるかに注目したい。


【土曜日】
◆『Dr.チョコレート』(日本テレビ/土曜22時/坂口健太郎主演/4月22日スタート)
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またブラックジャック系の天才医者ものか……と少々辟易しているところへ、「秋元康企画・原案」の文字を見てさらに辟易。

とはいえ、彼が脚本まで手掛ける作品に良い印象こそないものの、原案止まりだと面白い場合もあるので、正直蓋を開けてみなければわからない。

この手の設定では、昨年同枠で放送された『逃亡医F』が意外に面白かったので、これ以上辟易することなくフラットな姿勢で一話目に臨みたい。


【日曜日】
◆『ラストマン-全盲の捜査官-』(TBS/日曜21時/福山雅治主演/4月23日スタート)
www.tbs.co.jp

この作品も、刑事ドラマの枠をどう広げるかという小さな試みを感じさせる設定。

久々の福山雅治に何を期待して良いのかはわからないが、大泉洋がなんとかしてくれそうな気はする。

ここ最近の日曜劇場はあまりコンスタントな出来ではないので、ここらへんでそのブランド力を改めて感じさせてほしいところだが、ありがちな刑事ドラマの枠を超えられるのかどうか。


◆『日曜の夜ぐらいは...』(朝日放送テレビ朝日/日曜22時/清野菜名主演/4月30日スタート)
www.asahi.co.jp

何よりも、安定の岡田惠和脚本。関西のABCテレビ制作による新枠とのことで、気合いも充分入っているに違いない。おそらくは、フジテレビ系のカンテレ制作ドラマがそれなりに高く評価されていることを受けての一手だろう。

やや遅れて月末にはじまるが、地に足の着いた設定で繰り広げられる岡田惠和作品にはずれはないだろう。ぜひ台詞の隅々まで人間ドラマを味わいたい。


◆『だが、情熱はある』(日本テレビ/日曜22時30分/髙橋海人・森本慎太郎主演/4月9日スタート)
www.ntv.co.jp

今期はこの作品が、一番当たりはずれが大きい予感がする。オードリーの若林正恭と、南海キャンディーズ山里亮太という実在の芸人を描くドラマ。

お笑い芸人のドラマといえば、同じく日テレの『コントが始まる』は素晴らしかったが、そこに実話という要素が乗っかるといったいどうなるのか。そこからはリアリティが出るのか臭みが出るのか。

それはあまり大袈裟に描くわけにもいかないという足枷にもなるだろうし、逆に実際にあったことだから少々嘘臭くても実話だと言い切って描ける、という自由もあるだろう。

あるいはこの四月から朝の顔となった山里の新番組の評判も、作品の印象を自動的に変えるかもしれない。つまり観る側の心持ちも作品の要素となってくる可能性があるわけで、シンプルにドラマ自体を評価するのが難しい作品になりそうな気はしている。

むろんそんなこんなをすべて凌駕する、圧倒的な面白さがあれば話は別だ。


【今期の個人的注目作】

『風間公親-教場0-』
 鉄板にもほどがあるが、正直全方位的に隙がない。すでにキャラクターも圧倒的に強い。

『日曜の夜ぐらいは...』
 新設枠ゆえの不安はあるが、脚本家・岡田惠和への信頼感。

『あなたがしてくれなくても』
 『昼顔』よ再び。

ペンディングトレイン ―8時23分、明日 君と』
 謎が謎を呼ぶ壮大な展開にすっかり巻き込んでほしい。


『M-1グランプリ2022』決勝感想~ウエストランドが果たした闘争領域の拡大~

(※これは分析ではありません)

そう冒頭から言い訳したくなるくらいに、今回優勝したウエストランドの漫才は、あらゆる方面の痛いところを突いていたように思う。そしてそれがいちいち面白さにつながっていた。その構造については、このあと個別レビューのパートで考えたい。

ついでなので野暮を承知で言い訳を続けると、個人的には分析しているつもりはあんまりない。たまに記事を読んだ人から「鋭い分析ですね」とか言われることもある(滅多にない)が、そのたびに「これって分析なの? そんなことより読んで面白かったかどうかが知りたい……」と思ってしまったり。

笑いが分析不可能なことなど百も承知で書いているのだから、せめてできることはといえば、書いているほうも読んでいるほうも面白いと思えるものを書くしかない。では面白さとは何かといえば、もちろんそんなものはわからない……。ならばできることは、大会を見て自分が考えたことを書くしかない。できればそれが単なるネタの分析に留まらず、何かその先へ、読んだ人が自分の日常や仕事に引きつけて、何かを考えることにつながってくれるといい。

そんなことを思いながら毎回書いている――とでも言いたいところだが、もちろんそこまでは考えずに書いている。ただ自分の思考を整理するためだけに書いているのかもしれない。どうせこんな前置きは誰も読んでなくて、このあとの個別レビューを最初からやればいいのに、と思われているのもわかってる――。

こうして妙に言い訳がましくなっているのも、ウエストランドの漫才に当てられたせいかもしれない。だとしたら彼らの思う壺だ。見事というほかない。作品から何かについて考える種をもらえるというのは、いつだってありがたいものだ。

というわけで今年は、特に優勝者にスポットを当ててレビューをすることになる。それこそ近年は、プロの芸人が感想を語ることも普通になってきているし、単なる分析レベルのことは誰でもやっているので、客観的に見て誰にでも感じられるようなことは、特に書く必要を感じないというのもある。

以下、登場順に個別レビューを。


【カベポスター】
大声大会で、大きな声では叫びにくい発音を見つける。そこにひとつの発見はあるのだが、正直驚きとまではいかず、発見としてちょっと小さい感は否めなかった。

後半は、しりとり制を導入するというテコ入れによってタイミング良く展開を作っていたが、これは「展開のための展開」という作為的な感触が強く、飛躍とまではいかなかったように思う。

こういうのをまさに「分析」というのだろうか……?(気にしすぎ)


真空ジェシカ
設定は「シルバー人材センター」だが、設定はなんでも良さそうな漫才ではある。

とにかくボケ数が多く、観ているほうはその間違い探しに追われることになる。そういう意味ではゲーム的とも言えて、いつのまにか観客を「いち早く間違いを見つけた奴が勝ち」というルールに巻き込んでいくというのが、彼らの狙いというかスタイルになっている。おかげで観ているほうも、自動的に前のめりになるという構図。

相変わらずワードセンスが素晴らしく、特に「六法全書の同人誌」のような言葉の背後にあるイメージの膨らみが凄い。いったい誰が、なぜそのようなものを作っているのか。そして誰が、なんのためにそれを買うのか。そのぶ厚さもさることながら、どの法律がどうパロディ化されているのか。

もちろん彼らはそんなことに触れることもなく、高速で次の展開へ進んでいくので、これは点数につながる部分では全然ないのかもしれない。だがこういうひとつひとつの言葉選びが文体を作りスタイルを作っていくということを、改めて思い知らされる。

今後勝つためには、彼らがこだわり抜いている細部よりも、より大きな構造を導入し優先させる必要があるのかもしれないが。


【オズワルド(敗者復活枠)】
まず驚いたのは、敗者復活戦と同じネタをやったこと。
いやそれ自体はあることなのだが、敗者復活戦では昨年のネタに比べるとだいぶ劣るように感じたので、彼らは決勝用にとっておきのネタを温存してあるものと勝手に思い込んでいた。

正直、敗者復活戦では令和ロマンがネタの質も会場のウケも飛び抜けていて、知名度の上乗せがあってなんとかオズワルドに票が集まったというふうに見えていたので。

ネタ終了後の松本人志との会話を聴く限り、あまりネタのストックがなかったということなのかもしれない。彼らはかなり『M-1』に賭けている印象があったので(それが必ずしもいいことだとは思わないが)、そこはちょっと意外ではあった。


ロングコートダディ
一本目は「マラソン世界大会」という設定だけを中心に置いて、あとは二人でボケを交互に繰り出しまくるという笑い飯方式。動きにしろ言葉にしろ、ひとつひとつのボケの精度が高く、展開も良く練られていた。

その妙が最も感じられたのが、審査員も指摘していたように、「太ってる人」というごく単純に見た目を指摘するだけの平凡なフレーズが投入されるタイミング。これによって単なる言葉選びだけでなく、それをどことどこのあいだに配置するか、受け手が何を期待しているところに対して投げ込むかといったところまで、しっかり考えられていることがわかる。

置く場所によっては、トリッキーな言葉よりもなんでもない普通の言葉のほうが、人の心をすっかり捉えてしまうというのが面白い。

審査員からは、ネタ時間を少し余らせているとの指摘もあったが、中途半端に終わっているのならまだしも、円環構造でしっかり完成しているネタなので、そんなことはまったく問題ならないと思った。むしろ終始時間ばかり気にしている漫才のほうが楽しめないのではないか。

二本目は、江戸時代に行きたいのにどうしても去年にしか行けないタイムスリップ設定。

実質的には江戸時代と現代のどちらにも見えるアクションを考える大喜利のような展開で、印籠とマリトッツォを同一視させるあたりは見事だった。

一本目に比べるとやや派手さに欠けたかもしれないが、最終決戦にふさわしいクオリティはあったと思う。


さや香
一本目は「老化」をテーマに、その基準年齢のズレから生じる様々な不具合がどんどんこじれていく展開。

とにかくボケの精度が高く、後半に向けて盛り上げていく展開もスムーズで理想的。

「佐賀は出れるけど入られへん」あたりの言いまわしも絶妙で、特に妙な言葉を使っているわけでもないのに、こちらが想定していたひとつ先の状況まで言い当てられているような、不思議と腑に落ちる感覚がある。

二本目も、「男女の友情」を主題に、その解釈の違いが問題を生み出していくが、こちらは最終的にそのズレがズレに留まらず、立場を逆転させるところにまで至る。

この逆転劇は、最終決戦のような僅差の戦いになればなるほど、評価する側にとっては加点ポイントになりやすいかと思った。しかし案外そうはならなかったのは、あるいはその計算がやや透けて見えているように感じられたからかもしれない。

優勝してもおかしくない充実の二本であったと思う。


男性ブランコ
「音符運び」という、物をあえて表層的な「形」として捉える設定は、バカリズムの「都道府県の持ちかた」を思わせる。

そのうえで音符を武器化して、それに攻撃された際のリアクションで見せるあたりは、見えない昆虫と戦うインポッシブルを思い起こさせもする。

だが前者の「静」と後者の「動」の部分を組みあわせたところに大きな意外性があり、正直彼らにここまで「動」のほうの実力があるとは思っていなかった。審査員も口にしていたように、まさに音符の軌道が見えるようだった。

彼らはすでに独自の世界観を持っているので、正直こういう大会における評価は気にする必要のないおぎやはぎタイプであると思う。

キングオブコント』におけるシソンヌがそうであったように、優勝したら優勝したで「そりゃそうだろうな」と思うだろうし、優勝できなかったらできなかったで、「そりゃそうだろうな。でも別にそれでいいじゃん、面白いんだし」と思う。

つまりその実力のほどを証明するという意味では、順位とは無関係に成功と言っていいのではないか。


【ダイヤモンド】
日常で使う日本語の成立過程を考え直すその視点が面白く、「不自然ローソン」「農薬野菜」といった言いまわしには膝を打つものがあった。

ただしその羅列だけではさすがに飽きが来てしまい、展開、進化、飛躍をどうしても期待してしまう。


【ヨネダ2000】
「イギリスで餅つき」という、まるで対義語を組みあわせたような不条理設定。

不毛な繰り返しの動作が、独特のグルーヴを生み出していくその様は、テクノのようなミニマル・ミュージックを思わせる。メロディよりもリズムで組み上げられた癖になる世界観。

見た目はコントなので漫才大会の採点者泣かせなネタであり、実際審査員にも困惑が見られたが、それもまた彼女らにしてみればしてやったりといったところだろう。

個人的に好きな世界観ではあるのだが、頻繁な繰り返しに耐えるほどの強度があるかというと、そこまで不条理な言動でもないと感じる瞬間もあって、もっとぶち壊してほしいという気にも少しなった。


【キュウ】
もっとインパクトのあるネタもあるのに、なぜこれを持って来たんだろう……という疑問はある。

たしかに間を存分に生かした語り口はやはり魅力的だし、彼ららしい日本語遊び系のネタではあった。途中、「全然違うものを二つ挙げる」というお題の中に、「二つのあいだに共通点を見つけていく」というルールを発見するまでは良かった。

だがそれが結局、ねずっちの「整いました」と同じ構造だというところまでいってしまうと、単に上手さだけで笑いにつながらないまま終わってしまうという、ねずっちとまったく同じ問題に陥ってしまう。

いちおう「ねずっちのパロディ」というイメージなのだとは思うが、実質的にはほとんどそのまんまなので、そこからもうひとつひねらなくては、パロディとしては成立しないのではないかと思った。


ウエストランド
2020年に彼らが出場した決勝の感想で、僕はこんなことを書いていたらしい。

負け組男の偏見や妄想を世の中への怨嗟にまで高めて吐き捨てる井口のスタイルは、個人的には以前から好きなのだが、その標的が女性である場合、当然と言えば当然だが女性受けがすこぶる悪いような気がする。

radiotv.hatenablog.com

ウエストランドの漫才の本質は、基本的に当初から変わっていないと思っている。ではいったい何が変わったことで今回は優勝できたのか。それを二つの方向から考えてみたい。

まず一つめは、「彼らの漫才が標的とする対象の変化」だ。だが標的の変化は、逆サイドにある「自身の立ち位置の変化」とも関わってくる。両者の変化は連動していると言っていい。

上に引用したように、少なくとも2020年の大会では、井口の毒舌の対象は、自分を恋愛対象として認めてくれない「モテる」女性たちだった。視点を変えれば、それは井口が自身を「非モテ」の位置に置くことによって、自動的に定まった目標とも言える。

だが今回はその対象が、いわゆる「リア充」にまで広がったように見えた。「モテ」は「リア充」に含まれるが、後者のほうがカバーする範囲が大きい。これはつまり彼のなかにある闘争の軸が、「モテ←→非モテ」から、「リア充←→非リア充」という関係性に置き換わっているということなのではないか。そしてそれは実のところ、昨今の世の中の動きとも連動しているように見える。

それはもしかすると、以前に比べてモテないこと自体に悩む人が減ってきているからかもしれない。しかしそれは相対的に割合が減っているというだけで、実際に数が減っているわけではきっとない。

正確にいえば、仕事や生活、健康上の問題など「充実していないリアル」の領域が増えすぎた結果として、「非モテ」の領域が減ってきているというか、「非モテ」を気にするどころではなくなっているというか。それはもちろん、歓迎すべき世情ではないわけだが、事実として。

いずれにしろ、結果として毒舌の的が広がったことによって、当初の「井口が一人称で個人的な不満をぶちまける」という形から、「井口がみんなの思っていることを代わりにぶちまけてくれる」という状態に、発信元のほうのスケールも自動的に拡大したように思える。主語が「僕」から、いつのまにか「我々」になったような。

それは発言に対する共感が増すということでもあるし、その発言が少なからず客観性を帯びるということでもある。結果として私見を述べる井口のうしろに、援軍の姿が見えるようになった。

そして二つ目は、漫才の形式の変化だ。今回はこれまでの井口がまくしたてるスタイルに、「クイズ形式」という構造がひとつ乗っかった形になっていた。

これはもちろん、たいして内容に影響を与える変化ではない。料理はそのままで、器を変えた程度のものであるように見える。

しかしこの取ってつけたような些細な構造の変化が、思いのほか全体の印象を大きく変えたのは間違いない。ではいったい何が変わったというのか?

クイズというものには必ず、「正解」と「不正解」がある。それでいうと井口の解答は、すべて「不正解」である。相方の河本も、しつこくそう言って解答を撥ねのける。

つまり井口の意見は、根本的に間違っているということになる。どんなに言いかたを変えようが何度繰り返そうが、「不正解」であるという事実はいっさい揺るがない。

たとえ井口がどんなに正論を吐いていたとしても、それは結局のところ「不正解」にしかならないしなれない。だがそれがどこまでいっても絶対的に「不正解」であるという事実が、それを聴いている観客にとっては、井口に共感する際に感じる後ろめたさを薄める格好のエクスキューズになる。

「正解」は間違えていてはならないが、どうせ「不正解」ならばどのように間違えても自由だ。これは詭弁に聞こえるかもしれないが、「間違ってもいい」と言われれば、人の発言は各段に自由になる。

それでいて、受け手がどんなに邪悪な意見に共感してしまったとしても、それが必ず「不正解」だと結論づけられることによって、最終的にはいくばくかの安心感を得て正気に戻ることができる。

つまりこのクイズ形式を採用したことにより、彼らは発言の許容範囲を拡大することに成功した、ということになるのではないか。

そして井口の言葉は、その対象を拡大したことにより、もはやどこに向けて放たれてもおかしくない状況に入ったと言っていい。それはもはや、特定の敵に向けて放たれるものではない。なぜならば何事も何者も、正面から見れば素晴らしく理想的なものであっても、後ろから見れば間抜けであったりするものだからだ。

つまり誰が誰を笑うかは、関係性次第というわけで、格好良すぎて笑われる者だってもちろんいる。誰かのことを笑っている人間が、常に笑う側に安住していられるとは限らない。もちろん井口にだって、他人を笑っている自分自身を誰かに笑われる自覚も覚悟もあるだろう。

このことからも、彼の毒舌を単なる「悪口」と批判するのがお門違いであるのは明白だ。物事や人間の滑稽な側面を発見し、それを面白く伝えるのがお笑い芸人の能力であり役割であり仕事なのであって。「全面的な否定」と「一側面の発見」を混同してはならない。

――などなど、考える種の多い彼らの優勝ではあったが、ひとことで言えば純粋に面白かった。それだけを素直に最初に言わないものだから、こういうのを「分析」と言われるのだろうなぁと改めて思いつつ、かといって改める気もなく、気楽に読んでいただければそれで。


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『キングオブコント2022』感想~高次元の「動き」と「演技力」に負けない「言葉」の力~

コントはどうしても漫才と比較される宿命にあるが、この二つの決定的な違いといえば、やはりコントにおいては「動き」と「演技力」という見た目の比率が増えるという点にあるかと思う。

キングオブコント』も、今年は冒頭のクロコップがかなりの好感触を得た時点で、「動きの笑い」を重視する大会になるかと思われた。

とはいえ、ことはそう単純にはいかない。昨今のコントにおいて、たしかに「動き」と「演技力」の重要度は増してきているように見える。だがむしろ、それらのレベルが上がってきているからこそ、それにふさわしいクオリティの「言葉」もまた、間違いなく必要とされているに違いない。

インパクトのある「動き」や上質な「演技」を観せられたとき、我々視聴者は、それらに負けず正面から太刀打ちできるリアルな「言葉」を待ち受けている。

ビスケットブラザーズの優勝は、いまのコントにはそういった「アクション」と「言葉」の高次元における両立が不可欠であるのだということを、改めて証明してみせた形になったように思う。

以下、登場順に感想を。


【クロコップ】
ほとんど動きの笑いだけで、立ち上がりの観客を見事につかんだ。

「あっち向いてホイ」をカードバトル化させた設定で、いかにも少年漫画的な発想。結果として、少年漫画がいかに常時無茶なことをやっているか、そしてあとづけ要素が多いかということの批評にもなっている。

「動きの笑い」に関してはかなりのレベルにまで達していたように思うが、上位陣と比べるとワードセンスの上積みがなかった。もちろん、そこをあえて排除したことにはある種の覚悟も感じるが。


ネルソンズ
結婚式の二次会における、いわゆる映画『卒業』パターンの横恋慕シチュエーション。

話が進んでいくごとに、徐々に新郎にとって不利な状況が見えてくるという巧みな進行。

しかしいまこのベタな設定をやるからには、最後にもっと大きく何かを崩してみる必要があったかもしれない。


かが屋
冒頭、かなり過剰な女優演技に違和感を感じていたところへ、実はドM男とのデートだったという設定が突如見えてきて腑に落ちる。そして一気に引き込まれる。

途中、ドS的言動とパワハラとの境界線を探るあたりも示唆に富んでいて、細かい表現にまで意識がゆき届いている脚本。

そういえば去年優勝した空気階段の一本目もSM設定だったが、あれはむしろ中身というよりは見た目上の設定と言うべきか。

隙はないが爆発力が欲しくなってくるのも事実で、もっとあり得ないレベルにまでエスカレートしたり、二人の立場が逆転したりするところまでつい期待してしまった。もちろん五分ネタでそこまでたどり着くのは、至難の業だとは思うが。


【いぬ】
パーソナルトレーニングという状況下で、男女二人が同じ淫夢を観るというかなりピンポイントな設定。

結果、手を変え品を変え二人のキスが繰り返されることになるが、さすがに単調で後半は飽きが来てしまう。

そうなるとキスより先まで行かなければならなくなるが、審査員の東京03・飯塚も言っていたように、すでにこの時点で表現としてもう限界という向きも少なくないだろう。あるいは別方向への展開というのが、あり得たのかどうか。


ロングコートダディ
料理対決番組という、様々なことが起こりそうな設定をわざわざ用意したにもかかわらず、「とにかくコック帽の高さがセットに引っかかる」というただひとつの問題だけで最後まで貫き通すその姿勢が、くだらなくも潔い。

「吸ったやつどこ行ってます?」「『全然』って万能じゃないですよ」「目的を理解してないですよね?」等々、ツッコミの「尖ってないのに刺さる」絶妙なワードセンスが秀逸で、ひと言たりとも聴き逃せなかった。

それと引き換えなのかどうなのか、アクション的にはかなり地味に見えてしまったのも事実。あとは後半、帽子の高さがどうにかしていいほうに転がるとか、そういう逆転がどこかにあると、もうひと山作れたかもしれない。


【や団】
一本目は三人で楽しくバーベキュー。かと思いきや、なぜか死体遺棄という過酷な状況に。

そこにドッキリを絡める構成が巧みで、中盤以降は誰が一番狂っているのかわからなくなっていく展開も効いてくる。三人編成のメリットを最大限に生かした設定の作りかたが上手く、二人ではできないことを見事にやっている。

ツッコミの演技が終始大きすぎるのが古臭く感じられてちょっと気になったが、その点に関しては二本目のほうでは気にならなかった。

その二本目は、天気予報をはずした気象予報士らに出会った全身ずぶ濡れの男。

こちらもとにかくシチュエーションが巧みで、ポピュラーなあるあるネタを一本のドラマに仕立ててしまうそのキャラクター設定と狙いすました配置には、たしかな実力を感じる。

「濡れて開き直った人間の可動域ナメないでくださいよ」という言葉のインパクトが強かったぶん、個人的にはこの二本目のほうがより好みではあったが、二本とも綺麗にクオリティを揃えてきたという印象。


【コットン】
ラフレクラン時代から、コントの面白さには定評があった彼ら。

一本目は「浮気証拠バスター」という謎の職業設定。チョコプラやロバートが得意とする架空職業モノでありながら、絶妙なディテールを連続的に繰り出すことによってリアリティを次々に補強していく。

そして中盤以降も、電話対応までしてくれたり、男になって直接対決まで引き受けてくれたりと、とにかく展開が豊富で飽きさせない。観る側の気持ちや呼吸を、本当によくわかって作られたネタであると感じた。

個人的にはほぼ完璧な内容だと感じたので、このネタに95点以下はあり得ないと思ったが……。

二本目のほうは、よくあるお見合い設定だがやはりディテールの表現力が効いていた。

そこへただひとつタバコという要素を追加するだけで、物語を最後まで展開させ切ってしまうのは流石。

個人的には一本目のほうが良かったが、間違いのないその実力を証明する大会になったと思う。


ビスケットブラザーズ
冒頭で触れたとおり、「動き」「演技力」「言葉」の三位一体攻撃が見事にヒットしての完全優勝。ほかの芸人らとは、別の因果律を生きているこの感じを「世界観」と呼ぶのかもしれない。

一本目は山でいきなり野犬に襲われるという、そもそもがいまどきのあるあるとはかけ離れた設定。

そこへセーラー服にブリーフ姿の救世主が現れ、あれよあれよという間に話が高速展開してゆく。

だがその展開のスピードも、単に勢いでぶっちぎる安易な戦術というわけではない。あらゆる要素が有機的に機能しているうえ、その合間に挟まってくるワードセンスも終始研ぎ澄まされているため、随所で確実に効いてくる。

狂った世界観でありながらも、その価値観の中においては緻密に作られている世界。

二本目はありがちなバイト仲間の女子トークに見えるが、友人の豹変によりすべてが破壊される。

二重人格という設定はよくあるが、これは二重人格というわけでもなく、しかし何かが狂っているのは確か。

展開の速さと多さが際立っており、それに伴って情報量も圧倒的に多い。それでも観客が迷子にならないのは、やはり要所要所で繰り出される的確な「言葉」が、物語をひとつの方向へしっかりと導いているからだろう。


ニッポンの社長
エヴァ』的なロボットアニメのパロディ設定。

いつもながらの繰り返しを軸に、最小の設定で最大の効果を上げてくるミニマムなスタンスに迷いはないが、それゆえに積み上げ感があまりなく、小さくまとまってしまった感も。


【最高の人間】
牧歌的なテーマパークの新入社員教育かと思いきや、それはほぼ洗脳の、あるいはそれを超えた世界――。

物語のスケールが大きく、飽きさせない展開力が際立っていたが、その大きさと引き換えにやや全体に荒さが目立っていたのは、逃れられぬ構造上の宿命なのか。

「逃げて!」のたったひと言で、それまでの空気を一変させる展開は圧巻だった。できればもっと長尺で観たかった作品。


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