『M-1グランプリ2019』決勝感想~コーンフレークの五角形ともなかの怖い柄~
【ニューヨーク】
相方が自作のラブソングを歌い出し、それに対して律儀にツッコミ続けるという形。
狙いとしては、たとえばYouTubeでよくあるような、リアルにヤバめの人が本気で作った的はずれな歌を遠くから観て笑うような構図で、よくも悪くも今っぽい笑いのスタンス。
その手の笑いは、今やすっかり一般化しているので、広く受け入れられる可能性が高い。それは確かだが、実際にはその先に大きな問題が横たわっている。
それは笑いの勝負をする相手が芸人ではなく、「リアルにヤバい人」になってしまうということ。当然、地上波のテレビはYouTubeよりも表現の規制が大きいわけで、そうなると、どうしても「リアルにヤバい人」を超える狂気をテレビで表現するのは難しい。
逆に言えば、僕はこのネタを観ていて、もっと壊れた歌を聴きたいと思ってしまった。だがあれ以上の狂気を表現するのが状況的に難しい以上、別のところで勝負をする必要が出てくるわけで、それがプロフェッショナルなツッコミという部分だったのだと思う。
ただそうなると、今度は歌とツッコミの距離感が凄く難しくて、ここまでクッキリと役割が分かれてしまうと、二人で共通の世界観を構築して観客を巻き込んでいくというグルーヴのようなものが生まれにくくなってしまう。
審査員の松本人志が言っていたのも、たぶんそれに近いことなんじゃないかと思う。ツッコミの人が笑いながらツッコんでいるというのは、ツッコミの人がボケの人の世界の外側からそれを眺めているからで、そうなると視聴者もツッコミ目線に巻き込まれて、世界観への入り口を見失ってしまう。
そしてそれはまさにYouTuberの動画を眺める視聴者の距離感でもある。それは漫才にとって、演者と観客の新しい距離感なのかもしれないと思う一方で、YouTubeと違って観客が目の前にいる状況においては、やはり難しい距離感なのかもしれないとも感じた。
【かまいたち】
ちょっとした言い間違いを全部相手のせいにして逆ギレしてみたり、取るに足らない自慢でマウントを取りにいったりという、いわば論破型漫才。
最小限の素材を最大限に転がすミニマリズム。素材の量から考えると、実にハイコストパフォーマンスな漫才であると言える。千鳥のワンフレーズの繰り返しだけで成立させてしまう漫才ほどではないが、料理人の腕前が如実に試されるスタイル。
限られた素材の中でも、客を飽きさせぬように手を変え品を変え味つけを変化させ、後半に向けて徐々に味を濃くしてゆく展開の妙は流石。この腕前ならば、どんなにジャンクな素材でも一流の料理に仕上げてしまうのではないかと思わせる。
例年であれば、優勝してもまったく不思議はない。
【和牛(敗者復活枠)】
準決勝で和牛が落ちたと聞いたときには、ご多分に漏れず「なぜだ?」と憤慨したものだが、今回のネタを観ると残念ながら納得してしまった。
去年までの和牛のネタはどれも素晴らしかっただけに、常にそれと比較されてしまうという不利な部分もあるだろう。
しかし今年は過去に比べるとあまり爆発力がなく、観客を驚かせる後半の展開も、いつもより思いきりに欠けていて小規模に終わった印象。
実力者であることはすでに証明済みなので、ありがちな問題ではあるが、売れたことによって漫才に対するモチベーションが低下しているのではないかと勝手に心配したくもなる。
【すゑひろがりず】
演出はたしかに個性的だが、中身は案外オーソドックス。
これで内容も奇抜にしてしまうと、それはそれでわけがわからなくなってしまうだろうから、そこはどうしてもトレードオフの関係になってしまうのだろう。
そういう意味では、この演出手法による可能性と同時に限界も感じた。
【からし蓮根】
前半は細かいボケでくすぐり、後半に相方を轢くところで爆笑が訪れる。
こう書くと一見理想的な展開に見えるけれど、いかんせん前半が低空飛行だった。
まだまだネタに本人たちのキャラクターが出きっていない印象があるので、そこに可能性を感じる。
【見取り図】
褒め合う設定から、妙なあだ名をつけてディスり合う状況へと展開。
相方につける個々のあだ名の中にはいくつもパンチのあるものがあって、特に「あおり運転の申し子」あたりは秀逸だった。
そして上から両手を組んで振り下ろす「ベジータの殴りかた」と、忘れたころに繰り出される一度限りの時間差ツッコミ。
このように面白かった要素はいっぱい思い浮かぶのだが、それが有機的につながっていかない感じがもどかしくもある。的確な枠組みを見つけてこのレベルの要素を一直線に並べることができたなら、爆発する予感は常にある。
【ミルクボーイ】
まずは見た目の圧倒的な古さに度肝を抜かれた。まさかそれが結果的にプラスに働くとは夢にも思わなかった。
一本目は「コーンフレーク」、二本目は「もなか」という正解に、近づいたり離れたりを交互に繰り返す、行ったり来たりの往来漫才。とにかく繰り出すワードが終始面白く、隙がなかった。
その面白さの一番の要因は、「あるある」のラインが絶妙であるということ。
「あるある」というのは、ありすぎてもなさすぎても面白くならなくて、「言われてみればたしかに」というくらいがちょうど面白い。つまり、言われることによって受け手に何らかの気づきがもたらされ、発見の喜びすら感じさせるのが理想的な「あるある」なのだと思う。
そういう意味で、「コーンフレークの袋に書いてある成分表示の五角形グラフ」とか、「もなかの皮にプリントされがちな、なんだかわからないけど怖い図柄」なんていうのは、まさに「言われてみればたしかに」という気づきのある理想的な「あるある」度合い。
彼らもかまいたち同様、ひとつのお題を狭く深く縦に掘り下げてゆくミニマルな漫才で、この形はやはり設定の道具立てが少ないぶんだけ、漫才師としての実力を感じさせる。
二本目はそこまで大差ではなかったとは思うが、見事な歴代最高得点&完全優勝だった。
【オズワルド】
「噛み合わないまま進む会話」というスタイルは、おぎやはぎを彷彿とさせる。喋りかたもかなり似ている。
関西勢が作った雰囲気の中で、ややシュールな空気感をもたらすも、観客を巻き込むまでには至らなかった。
【インディアンス】
基本的にはNON STYLE系のスピード重視型で、細かいジャブを連発してくるスタイル。そのぶん、一発一発の精度にバラつきがある。
見た目と動きからアンタッチャブルを連想する部分もあるが、あそこまで逸脱したうえで、さらに逸脱した先へ先へと展開してゆくほどの果敢さはない。ちょっと脱線しては律儀に本線に戻ってくるぶん、ややこじんまりした印象。
基本的にはわりと『M-1』に向いているとされるスタイルではあると思うが、テンポに慣れてくると後半飽きてくるという、スピード型の弱点も改めて感じた。
【ぺこぱ】
ヴィジュアル系の面倒くさいツッコミは癖になる。
本来は相手の間違いを正すべきツッコミという武器を、何事をもポジティブに昇華する歯の浮くようなメッセージに持ち替えて。
つまり相方に向けてツッコんでいるようで実は全然ツッコんでなんていなくて、結果的には相方含め客席全体にフワッとポジティブなバイブスを投げかけるというピースフルで斬新な手法。
それがヴィジュアル系のあるあるかと言われると、正直あまりピンと来ない感じもするのだが、あの行きすぎたファッションとメッセージの前向きさのギャップも含めて、強烈なインパクトを残した。
最終決戦では一票も入らなかったが、他二組とそこまでの差はなかったように思う。