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『M-1グランプリ2018』決勝感想~ストライクからボールになるツッコミがうなりを上げる笑いの奪三振ショー~

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漫才はボケが主役だと思われがちだが、ツッコミがどこまで攻めるのかも今や重要で。というのはたとえツッコミの普及以降、すっかり一般化したお笑い観であると思われるが、今回ほど「ツッコミの精度」で優勝が決まった大会は初めてかもしれない。これに関して、詳しくはのちほど霜降り明星の項目で触れる。

 

正直なところ今回は、ナイツ塙を加えた審査員勢のコメントがいちいち的確で、客観的な評価について言うべきことはほぼすべて言い尽くされているような気がする。

 

いやだからといって、ここでいつも書いている文章がことさらに客観的であると言い張るつもりはないのだが、審査員への以下同文を連打してもしょうがないので、今のところいつもよりは個人的な主観を前面に出して書くべきかなとは思っている。だがもちろん、書いてみないとわからない。

 

とりあえず分量的には、例年よりも多く書く対象とあまり書かない対象の差が明確に分かれるとは思う。

それでは以下、登場順に感想を。

 

【見取り図】

スタンダードな漫才形式で、上沼恵美子も言っていたが前半が古い(=ベタ)なのが気になった。

後半に架空人名が次々登場するようになってから、ようやくいい意味でのクセが出てくる。

 

「頭おかしい」を「あたおか」と略したあたりも、インパクトはあったがあとが続かなかったのがもったいない気も。

あのパターンで連打していけば、何かしらグルーヴが生まれたかもしれない。

 

スーパーマラドーナ

どちらが本当に怖い人なのかわからないという、サイコホラー系設定。

しかしわりと早い段階で、「むしろ田中のほうが怖い」ということが判明するため、後半に展開させるべき事柄がなくなってしまうのが悩ましい。

 

田中の狂気感がメインのネタではあるので、そのヤバさを後半まで隠していると、単純にボケの量が大幅に減ってしまうわけで。

だとすると、「田中が逆にとんでもなく真っ当な人間に戻る」というもうひと展開が必要な気もするが、ただでさえ難しい設定ではあるため、それをわかりやすく伝えるのは至難の業か。

 

かまいたち

タイムマシンをくだらないことに使う、というとても入りやすい設定。

それは入口がキャッチーなぶん、先の展開にヒネリが要求されるということでもある。

 

途中、山内が激昂してくるあたりから急に勢いが出てくるが、やや遅きに失した感。

 

ジャルジャル

一本目は、「国名分け」という謎のゲームを延々と子供のように繰り広げるジャルジャルの真骨頂。

ただ単に「国の名前を上下に分けて言いあう」というだけなのだが、そのミニマムな繰り返しがテクノ的なグルーヴを生みだしていく。

 

二本目はネタに入る前の自己紹介ポーズでひとネタやりきるという、さらに元も子もない最小限の設定だが、これはさすがに単調すぎて飽きが来た。

どの繰り返しがアリでどの繰り返しはナシなのか、その見極めは難しいが、他にもっといいネタがあるはずなのに、という選択の疑問は残る。

 

ギャロップ

合コンの数あわせ要員を頼まれた男の疑心暗鬼。

スタイル的にはオーソドックスの極みで、その範囲内においては確かなクオリティを保っている。

 

あとは漫才に安定感安心感を求めるか、スリルや緊張感を求めるかという受け手側の価値観の違いのみ。

 

【ゆにばーす】

途中でギアが何度か入れ替わる移り気なスタイルで、いろんな形を見せられる反面、全体の流れや展開に必然性があまり感じられないため、後半に向けて積み上がっていく物語的な楽しみがない。

 

後半突如飛び出すはらの意外と流暢な関西弁漫才に、意外とこっちのほうが向いてるのかも、と思ったのはオール巨人だけではないはず。

 

【ミキ(敗者復活枠)】

いつも通りの速度重視型漫才。

 

しっかり聴くとひとつひとつのネタの浅さが相変わらず気になるが、今までよりは若干深まってきている気配も。

 

【トム・ブラウン】

とにかく何でもかんでも合体させていくという無茶ぶり気味の豪腕設定。

単純な足し算だったはずが、足せば足すほどとち狂っていく悪ノリ的なバカバカしさが秀逸で。

 

つまり今大会最大の発見。

 

「ひふみんが土中から出てくる」という二本目も観たかった。

 

霜降り明星

もともと霜降り明星NON STYLEやミキ系統のスピード偏重型だと感じていて、そっち系はどうしても速度と引き換えに一発一発の精度が犠牲になるため、個人的にはあまり好きなタイプではなかった。

 

ところが近ごろは観るたびにクオリティが上がってきている感触があって、しかしそのクオリティの正体がいったいなんなのかはわからなかった。それが今日ハッキリとわかったような気がする。

 

簡単に言ってしまえば、まさにそのスピード型漫才が持つ致命的な欠点であった「言葉の精度」が各段に上がってきている、ということなのだが、ではその「言葉の精度」とは何か、ということになる。

 

それは審査員のオール巨人粗品のツッコミを讃えたこの言葉に集約される。

 

「みんなが思ってることより、ちょっと上のこと言うてる」

 

それは言い換えるならば、説明なしでギリギリ伝わるか伝わらないかの線をポンと投げてくる勇気と、その限界ラインを見極めるセンス、であると僕は思う。

 

これはたとえば文学の世界ではよく言われることなのだが、読者に内容を伝えるのが大事だからといって、説明しすぎると文章がつまらなくなってしまう。だから作者はちょっとわかりにくいボールでも、臆せずそのまま投げたほうが文章として面白くなることが少なくない。

 

その際に必要なのは、送り手の表現精度だけでなく、受け手の理解力をある程度信頼すること、だったりする。たとえば一本目のネタで粗品は、静止画で表現するせいやの動きを「ボラギノールのCM」に喩え、激しく揺れる船の様子を「リアス式海岸」に結びつけてみせた。

 

どちらもけっしてわかりやすい喩えではなく、受け手の頭の中にすでにそのイメージができあがってないとピンと来ない、ある種距離感の大きい比喩であると思う。二本目のネタで、学校で洗った手を自動乾燥機で渇かすその仕草に「私立(わたくしりつ)!」とツッコんだのも、けっしてジャストではなく、「そう言われればそうかも」くらいの距離感がある。

 

それは斜め上とも、一歩奥とも、あるいはある種の不親切とすら言えるだろう。しかし実はそんな受け手のイメージを借りるようなツッコミのほうが、おそらくは受け手に自らの想像力を働かせるという積極性が生まれるぶんだけ、深く刺さる表現になる。

 

野球で言うならば、本当に優れた投手というのはストライクではなくボール球で三振が取れる投手で、ストライクからボールになる変化球で勝負できる投手はプロで活躍できる可能性が高い。

 

今日の粗品が放ったツッコミフレーズの数々は、まさに視聴者のバットが届きそうで届かない位置にズバズバ決まる感触があって、その届きそうで届かない絶妙なコースというのが、オール巨人の言う「みんなが思ってることより、ちょっと上のこと」であると思う。

 

そういう意味で、二本目よりは一本目のほうがフレーズの精度が高く、いずれも一本目よりやや落ちるネタを披露した二本目の中では和牛のほうにやや分があると感じたが、トータルで考えれば納得の優勝。

 

【和牛】

審査員もこぞって言っていたように、立ち上がりが悪いながらも「二人ともゾンビ化する」という強烈な展開を後半に持ってきた強力な一本目。

個人的に当ブログでも、毎年のように「ネタ後半の展開の重要性」について考えてきたこともあって、和牛もいよいよ本格的にあからさまな『M-1』仕様の漫才を仕上げてきた、という印象を受けた。

 

そして運命の二本目。こちらもやはり、「オレオレ詐欺がやがて親子の騙しあいになる」という展開が後半に用意されていたが、一本目に比べると展開としてはやや弱かった。そのぶん立ち上がりは一本目ほど悪くなく、トータルで観るとさほど遜色のないバランスに仕上げてきたのは流石だと感じたが、あるいは一本目と二本目のネタが逆であったなら優勝していたかもしれない、という気もしないでもない。

 

もちろん、そうなれば一本目を通過できないというリスクもあるわけで、そこは毎年のことながら難しい選択だが、大会全体を考えると一本目の後半よりも二本目の後半のほうが「より本当の後半」であると考えると、やはりとどめの一撃は最後にこそ欲しかったかもしれない。

 

ただし今日の一本目以上に前半を犠牲にするのはさすがに危険だとは思うので、これ以上後半偏重にシフトするのは難しいと思うが、次にどんな手を打ってくるのかという楽しみが増えたとも言える。

 

しかしそんな小手先の戦略よりも、彼らが毎年のように質の高いネタを連発し続けていることが圧倒的に素晴らしい。