テレビに耳ありラジオに目あり

テレビ/ラジオを自由気ままに楽しむためのレビュー・感想おもちゃ箱、あるいは思考遊戯場

     〈当ブログは一部アフィリエイト広告を利用しています〉

『キングオブコント2018』感想

v77Zutqq_400x400-compressor.jpg

 

今回はいつものようなまどろっこしい総論はなく、登場順に感想を書いていく。

逆に言えば、総論は各論に含まれている。

なんて格好つけてもしょうがなくて、しょせんは個人の感想に過ぎない。

 

やさしいズ

「正社員とバイトの格差社会」なんてお堅いテーマではないと思うが、そんな二人の立場が逆転していく展開。

 

山場でドカンというよりは、細かい会話のニュアンスで笑いを取るタイプで、ラバーガールに近い感触があるが、あそこまでシュールに会話がズレていくわけではない。

 

そのぶんわかりやすいといえばわかりやすいが、物足りないといえば物足りない。

 

爆弾を処理できる理由として繰り出された「工業出てるんで」というフレーズが印象に残った。

 

マヂカルラブリー

単なる傘泥棒未遂のワンシーン……と思いきや、まさかの無限ループ設定であることが発覚!

 

史上最もどうでもいいシーンにSF的な設定を活用するという、究極の無駄遣い設定。

真面目なストーリー向けの設定を笑いのために浪費するという、そのわざと間違った使い方をしてみせる心意気が素晴らしい。

 

ここまで中身を空洞化させた笑いは当然人を選ぶが、こういう「あとに何も残らない笑い」こそ、最も純度の高い笑いなのではないか、と改めて考えさせられる。

 

ハナコ

1本目は、これまであるようでなかった飼い犬目線による擬人化設定。

 

というだけでなく、犬もあんまり自分自身の行動を把握できてなかったり、突発的に衝動的な行動をするあたりに妙なリアリティを感じた。

 

2本目は、ただひたすらに好きな女の子を追いかけるというだけの、ミニマムな設定。

 

と見せかけて、途中でその女の子の偽者というかドッペルゲンガーが現れて、実はすべてが夢の中なんじゃないかというような不思議な展開に。

 

映画的手法というか、デヴィッド・リンチ的世界観というか。やはり新しい要素というのは、いつだって他ジャンルから持ち込まれる。

 

最後の決め台詞「女子、ムズー!」はバイきんぐの「なんて日だ!」並みの流行語になってもおかしくない。だってこれ、完全にひとことで真実を言い当ててしまっているから。

 

ちょうど僕は最近『東京ラブストーリー』の再放送を観ていて、ここで鈴木保奈美演じるヒロインの赤名リカこそまさに「萌えの権化」であるということを改めて痛感していたところで。

 

織田裕二演じる永尾完治が赤名リカに振り回されるその姿も、ひとことで言うとまさに「女子ムズー!」だなと。

 

このコントで演じられていたのは、もちろんはるかに不細工な女子キャラなんだけど、その中心にある「女子ムズー!」な感覚は、男側から見るとまさにそうとしか言いようがないように描かれていた。

 

さらば青春の光

さらば青春の光は、ありそうでない職業やビジネスを考え出すのが本当に上手い。

 

今回は、予備校講師かと思いきや、予備校講師の横で生徒を鼓舞する人(バイト)。もちろん実際にはそれ専門の役職の人などいないはずだけど、でも本質的にそういう役割がメインの人はいるんじゃないかと思わせる。

 

そしてさらば森田が演じるキャラクターには、必ずその背中に哀しみが貼りついているのがいい。スイカに塩をかけるように、哀しみで笑いは引き立つ。

 

彼らはハズレがないことに定評があるので、ぜひ2本目も観たかったし、1本目を2位か3位で通過してもおかしくなかったと思う。

 

【だーりんず】

食事代をこっそりおごって格好つけたいサラリーマンが、なぜかスムーズにおごれない状況に追い込まれる。

 

「パニックペイ」というフレーズが印象に残ったが、全体にベタで古い感触は否めなかった。

 

【チョコレートプラネット】

1本目は謎の器具をつけて拷問部屋に監禁された被害者と、画面越しに指示を与える仮面の加害者。しかし慌てふためく被害者がうるさすぎて、加害者の指示がすべて掻き消され、一向に聞こえない。

 

「話が通じない」人間は、こんなにも無敵なのか! どんなに悪いことをしようとしても、相手が話の通じない奴である場合、もはやどうしようもない。そんな真実が、皮肉にも炙り出される設定。

 

加害者が被害者へ向けて叫んだ「ちゃんと説明してからパニックになってほしい!」という言葉がすべてを言い表している。

 

ある種の「すれ違いコント」ではあるのだが、会話をうまく掻き消すタイミングとか、そういう部分も計算されていて、最終的に謎が謎を呼ぶラストに落とし込む展開も見事。圧倒的な1本目。

 

そして問題の2本目。意識高い系の棟梁が、様々な自作の大工道具を披露していくという展開。

 

敗因は、ネタが小道具の紹介に終始してしまったことだろう。小道具は間違いなくチョコプラの武器ではあるんだけど、そこに頼りすぎて、小道具の紹介だけになってしまうと物足りない。それを「どう使うか」までいってほしいし、さらに言えば「こう使うのが普通だが、実はこんな意外な使い方もできる」というところまでいってほしくなる。

 

そうするためには、限られた時間の中で出てくる小道具の数を減らして、ひとつひとつの使い道を深く掘り下げていく必要がある。

 

他にも良質なネタを多数持つ彼らが、2本目になぜこのネタを持ってきたのか。そこには、今の彼らを取り巻く状況が影響しているように思う。

 

表面的には松尾のIKKOのモノマネが注目されている裏で、実は長田の小道具工作の部分が高く評価されている部分もあって、実際にライブでも小道具をフィーチャーしたイベントを開催したりもしている。

 

その結果、「小道具こそが自分たち最大の武器である」という認識が強くなっていたとしても無理はない。だが小道具は小道具というだけあって、細かい作りの面白さまではなかなか客席から見えないという弱点もあって、やはりただ見せるだけでは充分でなく、周辺情報をぶ厚めに伝えてあげないと、その面白さが伝わりづらいのも事実。

 

その点、この2本目は、ひとつの小道具の面白さが伝わりきる前に、次の小道具が出てきてしまうという拙速な展開があだとなった。

 

正直、2本目にカレー屋のネタをやれば無難に勝ち切れたと思うし、クイズショウのネタでも逃げ切れたかもしれない。本当はポテチのが最強だが、あれは既出なので使えない。そんな中で、いま評価されている武器を使いたくなる気持ちはわかるし、その前向きな選択肢は、先につながるように思う。

 

もう優勝する実力があることは誰もが認めているはずなので、あとはタイミング、というくらいか。いま最も面白いと感じている芸人の筆頭なので、引き続き期待は大きい。

 

GAG

学生のバイト先の居酒屋に、綺麗なお姉さんがいたら、という設定。

 

破綻もなく、会話を通じて人間関係を見せていく構成は安心して観られるが、「あまり展開しない東京03」という感じを受ける。

 

東京03は上手さばかりが強調されがちだが、彼らのコントには必ずすべてがぶっ壊れる瞬間があって、そこから生まれる案外派手なダイナミズムがある。

 

そういう危うさを、スリルと呼ぶのかもしれない。

 

わらふぢなるお

1本目は、コンビニバイトに入った新人が、店長に対して愚にもつかない質問=空質問を連発し続けるというミニマムな設定。

 

完全に文体に特化したコントで、とにかく質問のワードセンスでどれだけ人をイライラさせられるか、という一点にのみ心血が注がれている。そしてその独特の文体がやがてある種のグルーヴを生み、なんだかマネしたくなるほど癖になる。

 

勝負所を思い切って一点に絞った結果、狭く深く刺さるコントになっていた。

 

そして2本目は、路上の喧嘩で、微妙な超能力を発動させる男。

 

その能力の使えなさ加減とそのバリエーションが見所になっていたが、1本目に比べると、特筆すべき方向性がなく、わりと標準的な印象。

 

【ロビンフット】

中年の息子と年老いた父親の会話劇。

 

息子が結婚するという彼女の年齢が空欄になっていて、会話の中からそこを探り当てていくという展開が面白い。

 

ベタな作風ではあるが、会話劇自体に終始スリルがあって、思いのほか楽しめた。

 

【ザ・ギース】

物質に手を触れることで、その物に込められた思念を読み取ることができるサイコメトラー。しかし実際には、その物を使った人間ではなく、その前段階である製造工程のほうが見えてしまうという不条理。

 

もうこの設定の段階で面白くなることは目に見えており、彼らの世界観はすでに揺るぎないものがある。

 

そういう意味ではラバーガールあたりもそうだけど、フランス映画がアカデミー賞を取りにいっているようなこの感覚のズレを、あえて寄せにいくのかどうかというくらいしか、もはや議題はないのかもしれない。

 

それくらい彼らのネタは完成されているし、どこかを直すという感じでもない。むしろ受け皿のほうの問題、として考える時期に来ているようにも思うが、そう感じている人がどれだけいるのかという問題。