『M-1グランプリ2021』決勝感想~はたして漫才は学習可能であるのか否か~
今年は無名の初出場者が多いとの前評判だったが、蓋を開けてみれば最終決戦に残った三組は、いずれも昨年の決勝経験者。これをどう見るべきか。
『M-1』では、初登場時が圧倒的に有利だという定説もあった。何度も出場していたり、テレビへの露出が増えていくうちに、インパクトが弱まってどんどん獲りにくくなっていくという説。今回でいえば、敗者復活から上がってきたハライチが、まさにそういう状況であったかもしれない。
前年の上位陣が退いたところに、その下に甘んじていた層が繰り上がる。これはもっとも順当な図式であるようにも思えるが、漫才という芸事において、そこまで確実に努力が報われるものなのか、どうか。
今大会の最終決戦に残った三組のネタには、いずれも昨年からの成長の跡が見られた。特にオズワルドに関しては、審査員のアドバイスから直接学習したことが得点の向上に直結するという、これまでになくストレートな学習効果があった。
しかし一方で、その三組による最終決戦が、例年に比べてやや爆発力に欠けたのも事実だろう。ラスト、各審査員が口々に「僅差だった」と口にしていたのは、おそらくそれぞれの披露したネタが、一本目よりも弱かったことによる部分が大きいのではないか。
だとすればそんな学習効果にも、「ヒットは学べるが、ホームランは学べない」というような、一種の限界があるようにも思える。
その点、初登場組のホームランに期待していたのだが、残念ながらそこまでには至らなかった。しかしもちろんいくつかの発見はあったし、錦鯉は優勝にふさわしかったと思う。
以下、登場順に個別レビューを。
【モグライダー】
美川憲一「さそり座の女」の歌詞冒頭に現れる「いいえ」という否定形に注目した着眼点に、まず感服。誰もが「言われてみればたしかにそう思う」と感じる、ネタのお題としては実に絶妙なライン。
以降は美川を「いいえ」から救うべく、なんとかして星座名を浴びせまくるがいっこうに正解しないという不毛な展開。基本的に同じところを縦に掘り続けるミニマムなスタイルで、『M-1』用に短時間勝負向きのネタを拵えてきたという印象。
その結果、ともしげの天然ボケという最大の武器を生かし切れていない感もあって、もっと彼のあたふたする様子から、なんらかの奇跡が生まれる瞬間を目撃したかったという気も。
しかし天然に頼るのはあまりにもリスクが大きすぎて、こういう必勝の場では難しいのかもしれない。いずれにしろトップバッターとしては、かなりいい滑り出しだったように思う。今後への可能性も充分に感じさせた。
【ランジャタイ】
審査員も軒並み苦戦している様子だったが、これはたしかに評価が難しい。
強風に煽られて猫が飛んできたり、その猫が耳から体内へ侵入してきたり、さらには体内のコックピットで人間を操縦しはじめたりと、とにかくトリッキーな発想で観衆を振りまわしていく。
その発想自体は面白く、それだけでもう充分であるようにも思えるが、やはりエンターテインメントである以上は、その先には「その面白さをどう伝えるか」という表現力の問題が待っている。
現状では、伝わらない部分をツッコミ等で補うのではなく、伝わらないままに勢いでぶっちぎる、という形になっているが、この先そのスタイルをさらに突き進めるのか、あるいはいくらか受け手に歩み寄るのか。
そのあたりはツッコミのワードセンスや頻度にかかっているように思うが、平場でのオール巨人とのやりとりを見ているうちに、より適切なバランスがそう遠くないうちに見つかるような気が、なぜかした。
【ゆにばーす】
ランジャタイが場を掻きまわした直後というのもあって、漫才スタイルのオーソドックスさがより際立って見えた。どちらかというと、悪い意味で。
『M-1』で優勝したら芸人を辞めると公言している川瀬名人の気合いが入りすぎているせいか、ネタをガチガチに仕上げすぎている感があり、面白さよりは窮屈さを感じる瞬間が多かった。
審査員はボケのはらちゃんの技術向上を褒めていたが、個人的にはそれが裏目に出ているように思えた。本来は最大の武器であるはずのはらちゃんのキャラクターが、台詞まわしに汲々としてすっかり自由を失っているように見えた。
【ハライチ(敗者復活枠)】
澤部の意見をすべて頭ごなしに否定しまくる岩井が、同じことを澤部にやられると突如ブチ切れるという最大限のブーメラン。
彼らが発明したいわゆる「ノリボケ漫才」とは異なる新手法を持ってきたのは流石だが、後半やや飽きが来てしまった。
その原因は、ひとつには最初に言い返された時点で岩井がマックスで地団駄を踏んでしまい、以降それをエスカレートさせることができなくなってしまった点。もうひとつは、起承転結でいえば「転」にあたるその逆転劇を、わりと早い段階で披露してしまった点にあるのではないか。
最終決戦に残れないことが判明した際の、岩井のやりきった表情が印象的だった。
【真空ジェシカ】
「罪人」のことを沖縄風に「つみんちゅ」と呼び、以降も「ジャイロ回転」「二進法」「理系のお婆ちゃん」「ハンドサイン」等々、独特のワードセンスを遺憾なく発揮するその語彙力が、他との明確な違いを生み出していた。
全体としては小ボケの連打になっていて、派手な展開はないため大爆発はなかったが、その打率の高さには注目すべきものがあった。
審査員の講評を聴いていて、みんな語彙力のことを「センス」と呼ぶんだなぁと思った。
【オズワルド】
昨年、彼らの漫才を観た審査員の松本人志とオール巨人のあいだで繰り広げられた「ツッコミが声を張り上げるべきか抑えるべきか論争」。
彼らは今年、その両者の意見を見事に取り入れた漫才で、「抑えるべきところは抑え、張り上げるべきところでは張り上げる」という、当たり前のようでなかなかできない適切なバランスを見つけ出してみせたことに、まずは讃辞を贈りたい。
個人的には松本側の、「もっとツッコミは抑えたほうがいい」という意見に同意していたのだが、それはツッコミ自体の問題というよりも、むしろボケの弱さが原因だったのだということに、今年の彼らの漫才を観ていて気がついた。
さほどでもないボケに対して、ツッコミが大きく声を張り上げたならば、それは当然過剰なツッコミと感じられてしまう。それは観覧車程度で悲鳴を挙げているようなもので、それを最適化するためには悲鳴のボリュームを下げるか、あるいは観覧車をジェットコースターにしてしまうか。
そこで彼らは前者ではなく後者の、つまり畠中のボケをよりぶっ飛んだ方向へと強化した結果、全体として声を張り上げるに足るネタに仕上がっていたように見えた。
二本目は、一本目に比べるとやや派手さに欠けたが、文体で勝負するそのスタンスは純文学好きにはとても興味深く、いよいよこれまでの「おぎやはぎフォロワー」という自分の認識を改めるべき段階に来ていると感じた。
【ロングコートダディ】
「生まれ変わったらワニになりたい」という珍奇な発言から、生まれ変わりのシステムが徐々に明らかになっていく展開が面白い。
ほぼコントといっていい世界観だが、生まれ変わる際のルールが不利なほうへ次々と追加されていくうえ、その中心に「肉うどん」という間の抜けたワードを持ってくるあたりにもセンスを感じた。
途中で「二文字タイム」がもうけられるなど展開上の仕掛けも多く、かなり完成度が高いと感じたが、何かしら派手さが足りなかったのか。
【錦鯉】
昨年のネタは一発ギャグを中心に、なんとか周囲を肉づけしていったようなギクシャクした作りに見えていたが、今年は一発頼みではなく全体をきっちり意識した構成になっていて、明確な成長の跡が感じられた。
ベテランだろうがなんだろうが、成長のタイミングに遅すぎることはない、と証明するように。
以前よりキャラクターの認知度が上がっていることを上手く利用することにより、老けキャラを軸にしたネタはより地に足が着いた感触。
二本目のラスト、人を床に安置する動きによって鮮やかに伏線を回収したところで、優勝は決まったと感じた。
【インディアンス】
小ボケを連打するスピード漫才は相変わらずで、個人的には一撃の浅さゆえに得意なタイプではない。
しかし今回は一本目の「恐怖心のやつ、東京行ったらしいな」という擬人化フレーズを筆頭に、それなりに強いパンチラインもいくつかあって、速度だけでなくややボケの強度が増してきた印象を受けた。
加えて審査員も指摘していたように、ツッコミのきむが支柱としての安定感を醸し出すようになってきたお蔭で、田渕がより思い切ったボケを放り込めるようになってきているという効果も見えた。
【もも】
「転売目的顔」といった「○○顔」という比喩表現の応酬がシンプルに面白く、言葉選びのセンスに間違いないものを感じた。
だが一方では言葉に頼りすぎている感もあって、動きや展開に乏しいためややダイナミックさに欠け、後半少し飽きてきたのは否めない。
とはいえ、その言語感覚が武器として強力であるのは間違いなく、今後も要チェックのコンビであると認識した。
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