寝耳に日刊ラジオレビュー 2021年10月6日(水)号~「コントゴーレム」平子の躍動と、もっともらしいエンタメ記事への反論~
【聴いた番組】
『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)
『#むかいの喋り方』(CBCラジオ)
『きつねのこんこんらじお』(FM NACK 5)
『蛙亭のトノサマラジオ』(ニッポン放送 Podcast Station)
『24時のハコ』(TBSラジオ) ザ・マミィ
『D.C.GARAGE』で、久々にアルピー平子が見せつけたアドリブコントが圧倒的だった。
フリートークから想像力を膨らませ、様々な可能性を探りながらその先の展開を組み上げてゆくその思考回路に魅了される。物語だけでなく、カメラワークやコマ割りまで見えてくるようで、この人は作るプロセスでかなり映像が見えているタイプなのだとわかる。
さらには物語の視点や展開も即座に複数パターンが用意され、取捨選択を繰り返しながらもラストまできっちり連れていってくれる。やはりこの発想力、即応性、そして構築力は、もっと存分に発揮できる場を与えられるべきだと改めて思う。
『佐久間宣行ANN0』でも、やはり『キングオブコント』の話題が。
当レビューでも10月3日号の『爆笑問題の日曜サンデー』の部分で触れたが、今回の最終三組に「異質な他者との接触を試みる笑い」という共通点があったと指摘する記事があったことに関して。
【寝耳に日刊ラジオレビュー 2021年10月3日(日)号~笑いの普遍性とサラリーマンの定め~】
https://arsenal4.blog.fc2.com/blog-entry-541.html
「異質な他者への接触」という見方に関しては、単にたまたまそういう流れが来るタイミングであったというだけで、これがイコールいまどきの、あるいはこれからの笑いだというのは、ちょっと違うのではないかと。
僕もこの点に関してはまったく同感で、流行したものの直後には、反動でその裏が来るというだけの話であるように感じている。
たとえば『M-1』2019でぺこぱが披露した「ツッコまないツッコミ」は「傷つけない笑い」と賞賛され、これからの笑いを示唆しているように言われもした。だがその翌年の『M-1』2020では、まったく正反対とも言えるおいでやす小田のストレートに叫ぶツッコミが脚光を浴び、いまは逆にこれくらいシンプルな表現こそ必要なのだと言われたりもする。
つまりどちらが未来形であるとかいうことではなく、どちらも面白いというだけの話で、片方が流行りすぎると逆サイドにスペースが生まれやすくなる、というわりと普遍的な流行の推移にすぎないのだと思う。
自戒を込めて言うならば、書き手は自らの文章にスケール感を出すために、つい大きな社会問題に結びつけて「笑い」をはじめとするエンタメを語りがちなものだが、書き手が無理に切りそろえた牽強付会な切り口では、「笑い」の本質を語ることはできない。それは一見すると大きく見える社会問題云々よりも、実のところ「笑い」のほうが遥かに根源的で大きなものであるからだ。