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寝耳に日刊ラジオレビュー 2021年10月3日(日)号~笑いの普遍性とサラリーマンの定め~

日曜ラジオ

【聴いた番組】

爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ

安住紳一郎の日曜天国』(TBSラジオ

『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送

さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』(TBSラジオ

さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』(TBSラジオクラウド

『日曜サンデー』で太田光が、『キングオブコント2021』について語った。

「出オチだがその先がある笑い」が多かったというのはたしかにそうで、今回は特に、キャラクターに奥行きを持たせられるかどうかの勝負だったという気がする。

そしてその「出オチ」に関しては、昨今風当たりの強い「見た目を笑う笑い」が基本にあるのだとも。

これに関しては、やはりとても考えされられる。それが人を傷つける可能性を孕んでいるいっぽうで、人が心の中で面白いと思うことは、誰にも止めようがない。面白さだけでなく、何かを美しいと思ったり、心地よいと感じたりすることも、誰かが禁じることはできない。

「人を見た目で判断してはいけない」と考えているいっぽうで、見た目のいいアイドルを応援したり、見た目の可愛い猫を可愛がっていたりするというダブルスタンダードは、多くの人の中に存在している。その事実から、目を背けるのか、受け容れるのか。

今大会に関して、異質な他者に寄り添おうとする笑いが多かったという、いかにも今時っぽい解説をネットで見かけたけれど、僕はそうは思わない。やはりその根底には、太田が指摘するようにある種残酷な笑いがあって、けっして全体として他者にやさしくなっているわけではない。

他者に寄り添う笑いがあるとしたら、それは異質な他者にストレートに反発するのがもはやベタすぎるから避けているだけであって、あえて接近するというのもある種の残酷さだと思う。いまも昔も、笑いの根本的な部分は、なにひとつ変わってはいない。それは笑いというのが、人間にとって本能的な反応であるからだろう。

『日曜天国』における、安住アナの本音吐露にも痺れた。

見るからにエースとして抜擢された朝の新番組を、本当はやりたくはなかった、自ら希望していたわけではない、サラリーマンとして泣く泣く引き受けた、と。

もちろんそれはユーモアというクッションを伴って語られるわけだが、やはりこういう率直な人間のやる仕事のほうが信頼できると、僕は思う。