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2021/8/24(火)のラジオ聴取日記~芸人ラジオのゲスト問題~

火曜ラジオ

【聴いた番組】

『ダイアンのよなよな…』(ABCラジオ

空気階段の踊り場』(TBSラジオ

『ダイアンのよなよな…』、いまだにこの素晴らしい番組が9月いっぱいで終了してしまうのが信じられない。

せめて残された回だけは、2人のトークを存分に堪能したい……そう思っているところへ、なぜかアスリートのゲストが登場するという、期待とは真逆の展開に。

五輪直後だから、というタイミングではあるのだろうが、なぜこんなことをするのだろう。終了がすでに決まっているから投げやりになっているのか、それともこういうことをこれまであまりやらなかったからこそ、終わらせられてしまうのか。

もちろんゲストに来たアスリートに問題があるわけではなく、むしろダイアンとの相性は悪くなかったと思う。普段からダイアンの番組に接しているのが伝わってきたし、トークも淀みなく、ちゃんと番組として上手くまわっているように聞こえた。

だがそれでも、芸人ラジオにはいつだって「ゲスト問題」というのがあって。それは「ゲスト不要論」とまで言ってしまってもいいのかもしれないが、外からゲストを呼ぶよりも、パーソナリティだけの通常回のほうが面白いと感じている人が少なくなく、特に常連リスナーは通常回をこそ望んでいたりする。

だがここで「ゲスト不要」とまで完全に言い切れないのは、たとえば『三四郎ANN0』のなかやまきんに君ゲスト回のように、忖度なしにパーソナリティとプロレスをしてくれる人が来た場合には、また別の面白さが生まれるケースもあるからだ。

だがあの番組がまさにそうであるように、いったんそういうゲストを呼ぶとなったら、数週前から丁寧にネタ振りをしていくことで、リスナーに心の準備と受けいれ態勢を作ってもらうという下地作りを丁寧におこなうことが多い。

そこまでしないと、パーソナリティは単なる聴き手役になってしまい、番組の形がまるっきり変わってしまうから。もっと言えば、それまでに築き上げてきた世界観があっさり壊れてしまう。

そこがゲスト前提で作られることの多いテレビとラジオの大きな違いで、ラジオ番組の世界観は、パーソナリティとゲストではなく、パーソナリティとリスナーのあいだで作られる。

もちろんそこにはスタッフの舵取りがあるのは言うまでもないが、ゲストを重視する姿勢がリスナー軽視に見えてしまう側面がどうしてもあって、単にテレビ的な豪華さを求めると上手くいかないことが多い。

それはこの番組に限ったことではなく、ラジオ全体の問題というか、むしろそここそが長所だと個人的には思っているくらいなのだが。

とここまで書いておいて改めてリアルに考えてみると、もしかしたらスタッフはこの番組の終了後にもダイアンと番組をやりたいと考えていて、たとえばダイアンとアスリートが対談をする番組の企画書を書いているのかもしれない。そしてその企画書に説得力を持たせるためのパイロット版として今回の放送をおこない、この実績をもって上層部を説得し、ダイアンとの新番組を立ち上げようという狙いがある可能性もなくはないような気がする。

もちろん「気がする」というだけだし、特にそういう番組を聴きたいとは思わないのだが……夏。