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2021/8/22(日)のラジオ聴取日記~ハライチ岩井の才能~

日曜ラジオ

【聴いた番組】

『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送

オードリー若林によるハライチ岩井評の、ふんわりとした的確さ。

「岩井ちゃんの前で間違ったこと言えない。安いこと言えない。そう思わせる人は、芯取っていく人。若いときからそれを貫き通せてる人」

わかる人同士にしかわからない感覚的な言葉だが、だからこそ的確で。

近ごろ、ハライチ二人並んでのテレビ出演が急激に増えている。これまでは澤部単体の出演が多かったので、画面に二人が並んでいるとまだ少し違和感を感じるくらいだが、この相方に「追いつけ追い越せ」の勢いには、かつてのオードリーを彷彿とさせるものがあると思う。

こうなったきっかけは、タイミングを考えるとやはり彼の書いたエッセイ集が売れたことだろう。これは若林のときもそうだった。

あまり本が読まれなくなったと言われる昨今でさえ、どうやらそれは実力を判定するためのひとつの明確な試金石であるらしい。ここらへんの価値観は、実はたいして変わっていない。いやむしろ、より重要になっているようにすら思える。

もちろんその前のきっかけとしては、『ゴッドタン』において「腐り芸人」として開き直ったあたりから、徐々に波は来ていたのかもしれない。

だがそれを言えば、岩井のフリートークの凄さには、ラジオリスナーがもうとっくの昔から気づいていた。『ハライチのターン!』の前身番組である『デブッタンテ』時代から、その独自の発想と切り口は、リスナーのあいだでは高く評価されていた。某動画サイトにも、勝手に編集されたベストトーク集がいくつもあがっているほどだ。

しかしこれは、「だからラジオリスナーが鋭い」と言いたいわけではない。もちろんそれも少しは言いたいが、むしろ世間はいつも、なぜこんなにも圧倒的な才能に気づくのに遅れてしまうのか、というもどかしさと、ラジオというメディアの「広がらなさ」を残念に思う気持ちのほうが強い。

こんなにも誰もが流行に流され、流行に敏感どころかそれに乗り遅れることに日々怯えてさえいるのに、実際にはいとも簡単に才能が無視され放置されてしまっているという事実。

以前、ふかわりょうがラジオで、「良いと思ったものは積極的に伝えていかないと、すぐに消えてなくなってしまう」というようなことを言っていたが、世の中ますますそうなってきているような気がする。

SNS等の普及により、伝える手段は確実に増えているにもかかわらず、結局「紙の本が売れた」というような古典的かつあからさまなエビデンスがないと、誰もその才能を信用してくれないのだとしたら。