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『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』2013/3/3放送回~企画主旨とは無関係に発動する「悪玉天使」鈴木拓のイノセント・ワールド~

またしても鈴木拓の妄言が炸裂した。言うまでもないがこれは間違いなく才能である。使い方次第では人に致命傷を与えることもできるような能力をこそ才能と呼ぶ。それ以外の、文字どおり「毒にも薬にもならぬ能力」を才能とは言わない。

すっかり「天然」として、なかでも「悪玉天然」としてお認知されてきたドランクドラゴン鈴木拓だが、本来「天然キャラ」とは天真爛漫なイメージを伴うものであって、つまり天然でありながら悪玉であるという彼のありようは、「キモカワイイ」とか「メロディック・デスメタル」に類する決定的な語義矛盾を孕んでいる。だがそれは矛盾というよりは、天使と悪魔が存在として意外と近しいということを意味しているのではないか。その証拠に、邪悪なことを言っているときの鈴木拓の「ほくそ笑み」には、なぜか天真爛漫という言葉がよく似合う。

この日の『ガキの使い』は、先週に引き続き「ビックリ顔王グランプリ」が行われ、そこにドランクドラゴンが登場した。しかし出場者はあくまでも塚地のほうであって、実際スタジオにいたのは塚地だけで鈴木拓は呼ばれていない。それぞれを撮影したVTRをスタジオで審査するという形式を取っているため、脇役はVTR内のみの出演でしかない。にもかかわらずこの日の放送は、そこにはいない鈴木拓こそが主役だった。

そもそもこの企画の主旨は、「仲良くご飯を食べている最中、目の前の相手にバレずに、いかに派手に長時間ビックリ顔をすることができるか」というものであって、つまりは「たいして驚くべきことなど起こらない日常的な場面で、いかに非日常的なビックリ顔をぶちこめるか」という企画である。

ここでの鈴木拓の役割は、塚地と一緒に飯を食い、目の前の塚地が繰り出す不自然なオーバーリアクション=ビックリ顔をただ見せつけられるという、いわばドッキリを仕掛けられる側の役回りのはずだった。実際、劇団ひとりのVTRでは上島竜平がその役割を果たしていたし、他の出場者の際にもその構図は変わらない。ボケを繰り出すのはビックリ顔を無理矢理ねじ込んでくる出場者、つまり塚地のほうであって、それに気づきそうで気づかない相手として鈴木拓が想定されている。

だがそんな企画意図や構図など、鈴木拓にかかれば一網打尽である。何よりも驚くべきは、彼の発言のほうであるからだ。塚地がどんなビックリ顔をぶち込もうとも、鈴木拓の発言には勝てない。なぜならば、鈴木拓の言葉のほうが、塚地のオーバーなビックリ顔以上にビックリであるからだ。いや塚地だけでなく、誰のどんなビックリ顔を持ってこようが、鈴木拓の発言を受け止めることはできなかっただろう。彼の発言は、バッターに打てるものでも、キャッチャーに捕れるものでもないからである。だから受け手が優秀であるかどうかは関係がない。それはもはや、プロのキャッチャーでも捕れない魔球であるのだからしょうがない。そう、鈴木拓に関しては、「しょうがない」のひとことに尽きる。なんかもう、とにかく「しょうがない」人なのだ。

たとえばこのVTR収録当日、塚地との食事会に40分遅れて登場した鈴木拓は、特に悪びれるそぶりもなくその遅刻の理由を「DVD観てた」と言い放つ。そして「凄ぇ泣くやつ。ゲェゲェ泣いた」と、あたかも観ていた作品が感動的なものであれば遅刻をしても許されるというような説明を加え、かと思えばそこまで言うわりには、作品のタイトルを聴かれると見事にうろ覚えという思い入れのなさ。さらには、店員にオススメ料理を訊いておいて頼まない。『はねトび』終了後、何の仕事が手応えあるかを訊かれると、「正直テレビに関しては無い」というまさかの全否定回答。ツイッターの炎上をマネージャーに責められると、「番組の宣伝にもなる」「俺も炎上が本当に嫌なわけじゃないし」「いいことだらけというか」「心底よかったぁと思ったね」と、あたかも意図的に仕掛けたといわんばかりの発言を繰り返し、「ごく一部のやつらが俺を潰したいと思ってる」「たぶん30人もいないと思うんですけどね。日本全体で」と、激甘な憶測に基づく無根拠な被害妄想。さらに塚地に最近遅刻が多い理由を問われると、「これはね、話が簡単。起きる設定時間が遅い」という、確かに簡単すぎて小学生でも言わないようなベストアンサー。そして最終的には、「急がなきゃいけないってなればなるほど、『ジャンプ』読んじゃったりとか」という場外ホームラン級の決定打まで飛び出し、明らかに「ビックリ顔コンテスト」を遙かに越えたビックリ発言ですべてを持っていく剛腕っぷり。

兎にも角にも、すべての発言が面白くてしょうがない。もちろん、こうやってわざと悪意を上乗せして鈴木拓の発言を紹介しているわけだけど、こういう紹介の仕方はお笑い芸人に対しての最大のリスペクトでもある。これだけ意地悪な紹介の仕方をしてもビクともしない発言なんてのは、そうそうあるもんじゃない。そして実際のところ鈴木拓は、ただただ圧倒的に、天才的に素直なだけなのである。直後に約束があるのにDVDを観ていて、本当は最後まで観てから行きたいなと思ったり、オススメ料理を訊いたけどあんまり気に入らなかったり、この仕事はあんまり向いていないなぁと思いながら仕事を続けていたり。そんな気持ちは誰にでも思い当たる節はあるはずで、しかしみんなそういうストレートな思いを、隠したり抑えたりなかったことにしながら社会生活を送ってる。それを言ったら周囲に嫌われてしまうから言わないというだけで、それは良く言えば思いやりだが、悪く言えば打算でしかない。

もちろん鈴木拓の発言の数々には、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったマリー・アントワネットの如く、他人の気持ちを推し量るという要素が決定的に欠けている。それは逆に言えば、「他人が自分の気持ちを推し量ること」を前提としているように見える。しかし彼の場合はそれ以前にまず、「他人も自分と同じ考えを持っているはず」という風に信じ込んでいる節があって、だからわざわざ相手の気持ちを推し量る必要を感じていないんじゃないか。つまり彼はあらゆる発言を、どうやら「当たり前のこと」として発している。本当に面白い人というのは、そうやってすべてを、「当たり前のこと」として言ったりやったりしてしまう人のことなのかもしれない。もちろんそれは一般社会においては迷惑千万な事態を招きかねないが、テレビの中ではそれくらいのことを言ったりやったりしてくれないと、わざわざテレビを観ている価値がない。少なくとも僕は、社会生活とは別次元のものをテレビの中に求めている。

このDVDの特典映像にある鈴木拓の横浜案内は妄言の白眉。