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寝耳に日刊ラジオレビュー 2021年9月24日(金)号~自虐すら困難な時代を迎え撃つ伯山~

金曜ラジオ

【聴いた番組】

『問わず語りの神田伯山』(TBSラジオ

マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』(ニッポン放送

中川家 ザ・ラジオショー』(ニッポン放送

空気階段の踊り場』(TBSラジオクラウド

今回の『問わず語り』は、自らの禿げ疑惑に端を発した伯山の強烈な自虐が炸裂。

特に藁をもすがる思いでたどり着いた医者とのやりとりが最高で、誇張をも含めてそれを演ずる伯山が乗りに乗っている。「医者と患者」というのはコントの定番設定だが、ここまで絶妙に噛みあわないままドライブする会話は、そうなかなか聴けるものではない。

そして何が凄いって、この話の前段として、伯山は「昨今の自虐ネタがいかに難しいか」という話をしているということ。難しいときっちり振った上で、真っ正面から堂々と挑む蛮勇。

最近はたとえば自分が禿げてきていることを自虐的に語るだけでも、「禿げを馬鹿にするな」というクレームが来る時代になっていると。ただでされ見た目をいじるだけでも「ルッキズム」と言われてしまうこの時代、これからの「禿げ道」はどうあるべきかと問題提起しておきながら、さらっとこの自虐を存分にやってしまうのが凄い。

そういえばこの日は『中川家 ザ・ラジオショー』においても、ゲストのおかずクラブが、近ごろ急激に自虐が難しくなってきているという話をしていた。劇場では先輩芸人らも、見た目いじりにはかなり気を遣ってくるようになっているという。それは人間としては有難いが、芸としては「おいしくない」状態でもあって、武器を封じられるようでもある。

基本的に、相手の見た目をいじるのは駄目なのだとして、では自分で自分の見た目をいじるのはいいのかというと、実はそれも伯山が言っていたように、見ている人はその価値観自体を不快に思う可能性が高い。

そうなると、対象が自分であろうが他人であろうが、見た目にはいっさい触れてはいけないということになるから、もはや中身の話しかできなくなる。

それはある種理想的な状態に思われるかもしれないが、実際のところ視覚から得られる情報というのは少なくなく、特に話のとっかかりという意味では、いきなり相手の中身にまで切り込んで話をするのは難しい。ましてやそこから、なんらかの面白さを引き出すとなれば。

一方ではまた、明らかにルックスで売れているアイドルや、それを堂々と応援している人たちもいるわけで、一方では他人の見た目を好きと言っておきながら、他方では自分の見た目を馬鹿にするのは許さないというのは、ダブルスタンダードであるようにも思える。

基本的には皆、自分がいじられても許せる範囲で相手をいじるというようなことになっている人が多いと思うが、その範囲に個人差がある以上、そこに共通のラインを見出すのは難しいだろうなと、改めて考えさせられる。

とはいえ、今回の伯山が抜群に面白かったことだけは間違いないから、こういう自虐に関しては許容してほしいと素直に思った。