ラジオコラム第25回は、肩幅の広さとトークの振れ幅が見事に比例する『D.N.A.ロックの殿堂~吉川晃司 Samurai Rock~』について。
【キュウリから原発まで語り尽くす、硬軟自在の吉川ワールド『D.N.A.ロックの殿堂~吉川晃司 Samurai Rock~』】
http://www.cyzo.com/2013/07/post_13883.html
吉川晃司ほど、コンスタントに道なき道を歩んできた男も珍しい。いつも端から見ればエリートコースに乗っているように見えながら、鮮やかにそのレールを飛び越え、常に意外な一手を打ってくる。まさか「モニカ」が「モナカ」になるなんて、あのころ誰が想像できただろう。
しかし世間の期待する道から常時外れていくということは、彼自身の人生そのものが確固たる道であるということに他ならない。まるで吉川自身が愛読している歴史小説の登場人物のようだ。彼だけは、この現代において戦国乱世を生きている。いやむしろ、年間自殺者が3万人を越える今の日本が実質的には戦国乱世だということを、僕らはもっと実感すべきなのかもしれない。
吉川がラジオで頻繁に口にするように、日本には間違いなく「臭い物に蓋をする」習慣がある。世の中には、なかったことにしないとやっていけないことがたくさんあって、それによってそれぞれが自身の精神衛生を保って生きている。たとえば我々は、Twitter上でどれだけの発言を見て見ぬふりしていることか。自分と価値観の異なる発言にいちいち突っかかっていたら、軋轢と衝突で肉体も精神も無益に疲弊し、とてもじゃないが生活が立ちゆかない。しかしだからといって、「臭い物に蓋をする」というスタンスが正しいわけではけっしてない。それによって物事が解決するどころか、実際には現状維持さえ難しく、蓋の下では腐敗が進み事態が悪化するケースも少なくない。
だから乱世を生きるには胆力が必要だ。そしてそんな胆力をいま最も感じる人間のひとりが、吉川晃司である。胆力とは、現実と向きあう覚悟と言い換えてもいい。吉川は言う。
「考え方は十人十色。それを否定する気はないが、自分が言ってることが一番正しいとも思っている」
柔軟でありながら芯がある。これぞ吉川晃司の生き様だろう。だが現実には、年齢を重ねていく上でどちらかを極端に失う人が少なくない。「こういう歳の重ね方ならば、大人になるのも悪くない」そう感じさせてくれる吉川晃司という男は、改めて貴重な存在だと思う。