寝耳に日刊ラジオレビュー 2021年9月10日(金)号~励ます側の責任~
【聴いた番組】
『ハイパーハードボイルドグルメリポート no vision』 #16 安楽死飯〈後編〉
『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送) ゲスト:ロバート秋山竜次
『アインシュタインのオールナイトニッポンX』(ニッポン放送)
『問わず語りの神田伯山』(TBSラジオ)
『ハイパー~』は、このあとスイスへ渡って安楽死をすることがすでに決まっている女性との飯、後編。
今回も生きること、死ぬことを両面から考えさせる重い言葉の数々が、てらいなく語られる。
「自殺を止めることには、相手の苦しみを長引かせる責任が伴う」
たしかにそうかもしれない。「生きろ」と励ましてくれた相手が、その後の人生の面倒をすべて見てくれるわけではないのだから。
もちろん、だからといって簡単に見過ごせるわけではないのだが、たとえばこの「生きろ」と励ましてくる相手が大きく「社会」であるとしたら、どうか。実際、そういう空気感というか生きろという「圧」は、間違いなく世の中に強くあるわけで。
だとすれば、いまは「励ましっぱなし」の世の中であるようにも思える。励ましたあとのことを、社会はなかなか考えてはくれない。ただ「大丈夫、大丈夫」とだけ無根拠に繰り返す、安っぽい歌詞のように。それは歌っているあいだだけ「大丈夫」と思い込むための言葉だ。
後半、苦いと評判の致死薬を何味で割るかという、とても深刻でありつつもくだけた話でひと盛り上がりするくだりに、一瞬だけ心が和む。
だがそこで彼女が口にする、苦さに苦さをぶつける「グレープフルーツ味」という選択が、マイナスをプラスで塗り替えるのではなく、マイナスにマイナスを掛けあわせてすべてを打ち消そうとする心の動きに思えて、それがどこか安楽死を暗示しているような気がしてしまう。
ラスト、おそらくは二度と会えないだろうとわかっている相手との別れ際の挨拶が、著しく確率の低い約束であるように響くのが、とても切ない。