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『全力!脱力タイムズ』~「不適材不適所」の極みがもたらす和製モンティ・パイソン的虚構世界~

当然だが物事を制作するにおいてもっとも肝要なのは、何事においても「適材適所」を心がけるということである。餅は餅屋、蛇の道は蛇。たとえば事実の報道を旨とするニュース番組の司会に、嘘つきのお笑い芸人を置くなんてのはもってのほかである。

一方、笑いを生み出す現場に必要不可欠なのは、そこに何らかの「ズレ」が存在しているということである。釘は餅屋、蛇の道は蛇口。たとえば虚偽の報道を旨とするニュース風番組の司会に、嘘つきのお笑い芸人を置くなんて最高である。

つまりお笑い番組においては、「不適材不適所」こそが「適材適所」であるということになる。ズレを求められている場所にズレた人材を配置することは、まさしく「適材適所」にほかならない。この『全力!脱力タイムズ』という番組においては、そんな「不適材不適所」に見せかけた「適材適所」が、病的なまでに徹底されている。全力をかけて人材の配置をコンスタントに間違い続けることで、究極の脱力感を生み出している。「脱力」には「全力」がどうしても必要だということである。

たとえばこの番組では、犯罪心理学者にグルメレポートをさせる。彼はかき氷に並ぶ行列を見ると「受刑者たちの入浴シーン」を思い浮かべると当然のごとく言い、目の前にこんもり盛られたかき氷を見て、「さらしものにされた首」を思い出すと何のためらいもなく言い放つ。つまりグルメレポートに行っているにもかかわらず、「グルメレポートなど絶対にしない」という真逆方向に意志が徹底されている。ズレは生半可なものではなく、そのズレは強い意志をもって貫かれる。ここに「脱力」のための「全力」が注がれている。

そしてその上で重要なのは、メインキャスターの有田哲平が、こういったズレたレポートのすべてを、あり得ないほど「真に受ける」ということである。もちろん心から真に受けているはずはないが、いったん真に受けることで、このレポートが生み出したあらゆるズレに太鼓判を押し、すべてを許容する姿勢を見せる。これはもしかすると、有田の大好きな、プロレスに対するプロレスファンのスタンスなのではないか。目の前で巻き起こっている荒唐無稽な展開をいったん「真に受ける」ことで、その世界に自ら入り込み、骨の髄まで楽しんでしまおうではないかと。

考えてみれば、エンターテインメントや芸術の世界というのは、基本的にそういう態度で「入り込む」べきものであるだろう。たとえ早い段階で目の前の「ズレ=ツッコミどころ」を発見したとしても、そこでSNS的タイミングで拙速にツッコんだりせず、じっくりと現実世界とのズレを味わい消化しながら、むしろ自分自身を現実ではなくそのズレのほうへと一体化させてゆく。現実とは異なる因果律の中にも面白いことはいくらでもあり、それを楽しむには四の五の言わず真に受ける力が必要になる。一般に、真面目な人ほど物事を真に受ける力に欠けており、現実から離陸することができない。そこで軸足を未練がましく現実のほうへ残したままでは、フィクションの内奥へと深く足を踏み入れることは難しい。

しかしだからといって、ツッコミが不要だというわけではない。この番組のもうひとつのお楽しみとして、毎度呼ばれるツッコミ役ゲストの本領発揮ぶりがある。ここではとにかくズレが徹底されているうえ、本来フラットであるべき司会者の有田がそのズレを許容するどころか、積極的に全肯定すらし続けるものだから、ほかの番組と比べてもやたらとツッコミしろが大きく、ツッコミ巧者たちのポテンシャルが毎度全面開花する様を目撃することができる。

だが面白いのは、それだけ縦横無尽の活躍を見せながらも、この番組において、ツッコミは終始負け続ける運命にあるということだ。通常、ツッコミというのは、ズレを現実に引き戻して着地させる役割を背負うものだが、この番組に限っては、出演者、演出とも極端にズレの側に寄せた鉄壁のフォーメーションが組まれているため、ツッコミ役ひとりの力では、どうあがいても現実に着陸させることなどできぬ構造になっている。

つまり全体が一本のコントとして完成しているということである。現実を虚構的に見せているのではなく、虚構の中に現実がすっかり組み込まれている。そのモードに入り込めなかった人はただ口をポカンと開けて首をひねるしかないが、入り込むことができる人には替えの利かぬたまらない番組である。