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『テベ・コンヒーロ』2012/6/5放送回~深追い上等の悪ふざけ三昧~

日曜夜8時という戦場で尖った悪ふざけをやり続け、一般にはひっそりと、しかしお笑いファンにとっては華々しく討ち死にした『クイズ☆タレント名鑑』の深夜版。

今回は先週の「コウメ太夫で笑う芸人など存在するのか?」に続き、「テツandトモの“なんでだろう”全て解決SP」。すでに心肺停止状態の一発屋芸人をぶん殴って無理矢理蘇生させるような強引な企画だが、この強引さと身も蓋もなさこそが、この番組の存在意義であり面白さだろう。当然だが、ぶん殴ったら打ち所によっては死ぬ確率も結構高いわけで。

まずは、かつて一世を風靡したテツ and トモの持ちネタ「なんでだろう」を、「視聴者に疑問を投げかけ続けている」のに、「国民は集団無視」という無駄に悲しい構図で説明。そこで番組がテツトモになり代わって調査して「なんでだろう」という疑問をスッキリ解決してあげようという、なんだか理にかなっているようで誰も求めていない企画。

テツトモの全盛期、たまたま聴いたラジオで井筒監督が、「あいつらの『なんでだろう』ってネタは答えを出していないから面白くない。同じ『なんで』でも、先輩の堺すすむの『なんでかフラメンコ』は、『な~んでか?』って言ったあとにちゃんと答えを言う。もちろんお笑いだから正解を言う必要はないが、表現者たるもの、自分なりの答えは絶対に出さないといけない」というようなことを言って手厳しく批判していたことがあった。

まるでそんな批判に答えるような企画だが、テツトモ自身ではなく番組が答えてくれるという他力本願な構図(本当は単なるおせっかいの押し売り)は、井筒監督をさらに怒らせること必至だ。

僕は正直、答え云々の問題ではなく、彼らの問題は単にあるあるネタの弱さだと思う。そのあるあるネタの弱さとは、「あるあるの案配がどうも上手くない」ということで、ありすぎてもなさすぎても面白くないのがあるあるネタの難しさだ。

たとえば、この日も取り上げられていた「絵の具の緑は緑じゃなくてビリジアンなのなんでだろう」というネタは誰にでも思い当たる節が「ありすぎ」て弱いし、一方で「カラオケで曲を入れ間違えると必ず演歌なのなんでだろう」というネタは、なんとなくわかるような気もするが確率的に「なさすぎる」のが調べずとも想像できてしまう。

だがこの番組の面白さは、そういう元ネタの弱さとはまったく関係のないところで成立していて、それどころかそういう「弱い疑問」に対し、わざわざ丹念に調べ上げた「強い答え」を用意してきっちり解決してしまうという、無駄な情熱の傾け方こそが面白い。「方向の間違った情熱・努力」というのは、『タレント名鑑』時代から一貫したキーワードかもしれない。

番組の流れは、まずテツトモのネタを流し、それに対する答えを大学教授などに取材し発表、パネラーがガッテンをするという展開。「絵の具の緑は緑じゃなくてビリジアンなのなんでだろう」という疑問には「緑とビリジアンは違う色」という元も子もない絶対的解答が用意され、「カラオケで曲を入れ間違えると必ず演歌なのなんでだろう」という疑問は「レアケース記憶=気のせい」という答えで一蹴。

こうやってテツトモのあるあるネタは次々と無効化されていくわけだが、この番組の凄さはその先にさらなる一手が用意されていることで、最後に番組はテツトモに、提示した正解を元に「解決の歌」を作らせ披露させるというオチを設定する。それは曲の「なんでだろ~」の部分を「知っている~」と単純に変更し、自分で質問を投げかけながら即自分で答えを言うというだけの代物。

しかしこれが妙にシュールに響いたのは、「自分の知っていることをわざわざみんなに質問しておきながら、誰かの答えを待つまでもなく真っ先に自分で答える」という構造がバカすぎるから。ここまで面白くなることが読めていてスタッフが「解決の歌」を作らせたのかどうか、単に結果的に面白くなっただけなのかはわからないが、とにかく「解決の歌を作らせる」というところまで深追いしなければ、ここまで面白くはならなかっただろう。

「間違った方向への深追い」それは笑いをやる上でのひとつの重要なキーワードかもしれない。

【『テベ・コンヒーロ』HP】

http://www.tbs.co.jp/TVConGiro/