テレビに耳ありラジオに目あり

テレビ/ラジオを自由気ままに楽しむためのレビュー・感想おもちゃ箱、あるいは思考遊戯場

     〈当ブログは一部アフィリエイト広告を利用しています〉

寝耳に日刊ラジオレビュー 2021年9月5日(日)号~尾崎世界観の「思考の動き」が見えるラジオ~

日曜ラジオ

【聴いた番組】

尾崎世界観の悩みの羽』(文化放送

有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系列)

さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』(TBSラジオクラウド

宮下草薙の15分』(文化放送

キョートリアル! コンニチ的チュートリアル』(KBS京都ラジオ)

安住紳一郎の日曜天国』(TBSラジオ

尾崎世界観の悩みの羽』が、相変わらず素晴らしい。

いまのところ2ヶ月に1回ペースの放送となっているが、正直いまこれだけ必要とされている番組はほかにないと思う。それも、群を抜いて。

僕はラジオのもっとも良いところは、誤魔化しようもなくパーソナリティーの思考回路が見えてくるところだと考えているのだが、この番組はまさに尾崎世界観というアーティストであり人間の、思考回路が見えるラジオだと思う。

だがもちろんそれは、露悪的という意味ではない。よくTwitter黎明期に「ダダ漏れ」などという言葉が使われていたけれど、そういう何も考えぬ垂れ流し行為と、ここで言う「思考回路が見える」状態とはまったくの別物だ。

それはあるいは、「思考の動きが見える」と言ったほうが近いかもしれない。そしてその思考の動きを伝えるには、当然のように正確な言葉がいる。正確といってもそれは辞書的な正確さではなくて(もちろんそれも必要だが)、思っていることを余すところなく伝える正確さである。

脳から口をついて出るまでのあいだに、思っていることを劣化させない言葉。そんな正確な言葉を紡ぎ出すというのは、実のところとても難しい。「そんなことなら自然にできてるし」と感じている人は、それがまったくできていない人だというパラドックスがそこにはある。

思い浮かべた料理を実際に作るのが難しいように、イメージの中の建物を現実に建てるのがほとんど不可能であるように、思っていることをそのまま言葉に変えて伝えるというのは、本当に難しい。

もっと言えば、それはおそらくは不可能なことであったりもするのだが、それでも思いのすべてを伝えようとする人と、適当に伝わればいいやと考えている人のあいだには、大きな隔たりがある。

前者はいま現在も動き続けている思いをリアルに伝えようと努力を続けている人で、後者は大昔に一度だけ思いついたことや誰かに聴いたような気がする程度の話を、単に抽斗から引っ張り出してくるだけの人だ。

前者の思考は流動的で常に動き続けているが、後者はある一点でストップしその思考は淀み腐っている。表現というのは本来、前者のように思考の動きを逐一リアルに伝えるものであって、すでに出ている結論をただそこに置いて帰るものではない。

「思考回路が見える」というのはつまりここで言う前者であるという意味で、この番組を聴いていてそう感じられるのは、尾崎世界観という人が常に物事を考え続けている人だからだと思う。

彼の話には印象的な言葉が多く登場するが、それらはあらかじめ用意された言葉ではなく、普段考えていること、これまで考え続けてきたことがすっと出てくるような感触がある。

たとえば今回は冒頭に、アイデアを盗まれて悩んでいるというパティシエのメールが読まれる。

それに対し尾崎世界観は、まず自分も盗まれることは結構あると共感し、しかし盗まれたものはだいたい成功していないと話を展開する。人のものを盗んでもいいと考えるような雑な人にいいと思われるようなものは、結局のところ大ヒットはしないアイデアなのだと。この裏返したような視点がまず面白い。

しかしそうやって自分とリスナーを納得させかかったところで、「まあでもくやしいか。くやしいですね」と、今度は反対方向から感情的な言葉ががやや押し返してくる。

ここで省略せずにリアルな気持ちの動きを伝えたうえで、話はさらに、「自分が故意ではなく盗んでしまうこともある」と一気に自分の創作活動へと引き寄せられる。ここまで来ると彼がどちらに味方しているのかが一瞬わからなくなるが、こうやってあらゆる視点に立てることが彼の真骨頂でもある。それは優しさと言ってもいい。

そして、自作曲のメロディーが他の曲に似ていると指摘され調べてみたら、その曲がまた別の曲に似ていると判明し、自分は孫だったと気づいたことがある、と彼は言う。この「孫」という表現が妙に的確で、やはりロックにはルーツというものがつきものだということを、改めて考えさせられてみたり。

そのうえでこの話は、「盗むよりは盗まれるほうがいい」という思わぬ地点に不時着するのだが、もちろん重要なのは結論めいたこの着地点ではなくて、そこまでにあらゆる可能性を探りながら辿ってきたプロセスのほうだ。そっちこそがリスナーとともに「悩みあう」ことをテーマに掲げたこの番組の本質であって、ほかとは一線を画するこの番組の、飛び抜けて優れた部分であるように思う。

冒頭のたった2分間のトークだけで、ここまで考えさせられてしまう番組は少ない。ほかにも触れたい部分は山ほどあるが、すでに書きすぎているような気がするので、それはまた別の機会に。

まずはなんとか月イチに、できれば万障繰りあわせのうえそれ以上に放送の頻度を上げて欲しいものだと、聴くたびに強く願わずにはいられない。同じように願っているリスナーは、少なくないはずだと確信している。