2021/8/1(日)のラジオ聴取日記~安住五輪噺ともう中の血中濃度~
【聴いた番組】
『安住紳一郎の日曜天国』(TBSラジオ)
『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系列)
『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)
『シソンヌの“ばばあの罠”』(RKBラジオ)
『日曜天国』で安住アナが、「私が主にやっている仕事は、トイレの順番待ちです」と語る五輪の舞台裏が、想定外に過酷で面白い。あからさまな階級社会。
いや面白く語っているから面白いだけで、実際には不条理なことばかりなのだが、これを単なる憤慨ではなく笑いに変えて伝えられるのは、やはりこの人の凄さだと思う。
逆に、確実に笑いに変えられるのでなければ、発表できないレベルの内容であるかもしれない。
『サンドリ』には、この番組へのゲスト出演がきっかけでブレイクしたと言われるもう中学生が再臨。
とにかく彼にフリースペースを次々と与える有吉と、それに応えて持ち込んだネタを脈絡なくぶち込みまくるもう中、という構図なき構図。
フリートークで突如よくわからない喩え話を繰り出すもう中にも、ツッコまず全乗っかりでのびのび甘やかし放題に育てる有吉流ゆとり教育の妙。
この日のアシスタントを務めたデンジャラス安田の「なんで(有吉ともう中の)会話が成立してるかわかんねえんだよな~」という言葉がすべてを言い表していた。
ゲストを呼ぶと、普通はゲストの魅力を引き出すために、パーソナリティはツッコミ役に回る。それはゲストのわかりにくい話を公に伝えるための通訳を務めるようなものだが、ここでの有吉は通訳の役割を完全に放棄して、さらにわかりにくさを濃くするほうに荷担するほうを選ぶ。
つまりわかりやすいほうではなく、よりわかりにくい方向へ、外側に開くほうではなく、内側に閉じるほうを選ぶわけだが、そこで優先されるのは、何よりも「濃度」であると思う。閉じることで失われるものは多いが、濃度だけはそのほうが間違いなく上がる。
その結果、もう中の魅力はここへ来て一般に受け容れられるように、つまり開く方向へと確実に向かったのであるから、ここには一種の逆説というか、ひとつの真理があるのだと思う。
芸人に限らず、一般に人は幅広い人気を獲得するために、外へ外へと開こうとするものだけど、それは実は自分を薄めていることにしかなっていなくて、本当は成分を濃くするために、むしろ内へ閉じる必要があるのかもしれない。
だがそれはひとりで完全に閉じるという意味ではなくて、誰かを巻き込んで閉じるというか、誰かを巻き込んでいる限りは、ギリギリ外側と通じているというか。
いきなり大きな投網をバッサリ投げる感じではなくて、小さくてもいったんは誰かを巻き込む強固な輪を作って、それを広げていくイメージかもしれない。その最初は小さかった輪を、人は「世界観」と呼ぶ。
面白いものにも人にも絶対に「濃度」が必要不可欠だという事実を、改めて思い知る。