2021/7/7(水)のラジオ聴取日記~「科学的」は科学からもっとも遠い~
【聴いた番組】
『#むかいの喋り方』(CBCラジオ)
『エイトブリッジのヤキトリエルボー』 #56(GERA)
『ハイパーハードボイルドグルメリポート no vision』 #11(Spotifyポッドキャスト)
『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)
文系と理系の両立。学べば学ぶほどわからないことが増える。人間がわかっていることなんてほとんどない。コロナ禍の状況にこそあの人の意見を聴きたかった……等々、改めて考えさせられるようなことが多く。
昨今、コロナ対策をはじめとして頻繁に使われる「科学的」という言葉の胡散臭さ。
そもそも科学で解明できていることなどそんなに多くはないうえに、そこに「本物っぽさ」を表す「的」なんかつけたらもはやなんの意味もない。「科学的」という言葉こそ、むしろもっとも科学から遠い、と。
時はすっかりエビデンス社会で、何をやるにつけても「エビデンスを示せ」「その科学的根拠は何だ?」となりがちな昨今。だが物を知っている人ほど、その根拠自体の危うさをも知っている。
それは仮に示された、現時点における根拠であるというだけで、皆が期待するような永久に通用する絶対的な根拠などではあり得ない。大谷のスイング軌道ひとつ見てもわかるように、ひと昔前の理論など、いまや害悪でしかなかったりする。
とにかく手近な答えがすぐにでも欲しい。考える時間などショートカットして、とにかく先に回答をよこせ。その気持ちはわかるが、そういうせっかちな人間ほど簡単にニセモノにひっかかる。
ネット上だけでなく、書店の本棚にもいまやそんなもっともらしい答えを断言するようなタイトルばかりが並んでいる。だがありもしない答えをあると言い張るのは、完全に詐欺師の手法である。
「答えがない」という現実を前に粘り強く考え続けられるかどうか、誰かが仮に出した答えを盲信することなく、新たな考えとともに暫定的な答えを更新し続けられるかどうか、そんな知に対する謙虚さを、いつになく求められている時代なんじゃないかと思う。