『日刊サイゾー』のラジオ批評連載コラム「逆にラジオ」弟12回は、『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』にビートたけしが生出演した回(12/14)について。
【ビートたけしが『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』で披露した、マシンガントークの神髄】
http://www.cyzo.com/2012/12/post_12174.html
ビートたけしの凄さは、今さら言うまでもなくもちろん色々あるのだが、むしろ才能が多岐に渡っているがゆえに、ど真ん中の部分が近年はあまり発揮されていなかったのではないか、と感じている。
世間的に今のたけしは、「偉大な映画監督」だったり「辛口ニュースコメンテーター」だったり「かぶりものの人」だったりすると思う。最近はたけしの全開の喋りを耳にする機会がなくて、それはたけしのトーク力がもうすっかり落ちてしまっているからだと思っている人が多いんじゃないだろうか。
しかしこの放送を聴いて改めて痛感させられたのは、たけしの本気の喋りは、実は今も全然衰えてなどいないということ。今のテレビや映画の世界では、求められていないからその真の力が発揮されなかっただけで、本気で喋るしかないラジオという場を与えられた途端、本来の魅力である猛毒マシンガントークが、まさに怒濤のごとく溢れ出した。やはり的確に求められることによって、最大限の能力は引き出される。
4.5%という驚異の低視聴率を叩き出している『日曜ゴールデンで何やってんだテレビ』を観ていて感じる不満も、たけしが本気を出せる場として番組が機能していない、という点にある。スタッフがたけしに多くを求めることを遠慮しているのか、あるいはたけしに負荷をかけずにできる番組という約束のもとにスタートしたのか。
久々にラジオでの生喋りを聴いて、たけしの本領発揮を喜ぶとともに、改めて今のテレビ制作者の基本姿勢(とスポンサーの狭量)に疑問を抱いた。もちろん、いい番組もたくさんあるんだけど。