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『THE MANZAI 2012』感想

笑いをボケの質と量ではかるならば、今年はとにかく「量より質」の大会だった。量が増えたぶん一個一個のボケが浅くなるという、わりと当たり前の問題を孕んでいるコンビが多かったという印象。もちろん、その両立こそが理想なのだが。

 

以下、登場順に。

 

《Aグループ》

テンダラー

メロディと顔芸でコーティングされてはいるが、中身は一つのお題に対し複数の答えを立て続けに出していくという、わりとシンプルな大喜利方式。となるともちろんその大喜利勝負になってくるが、どうも飛躍のない答えが多く、驚きが少なかった。

 

ベタな答えに過剰な演出とスピード感を乗せて、理屈よりも感覚的に面白さを感じさせるスタイルだが、そのベタさが安定感というよりは古さ、冒険心のなさを感じさせる。

 

ウーマンラッシュアワー

完全にスピードに特化した形で、さすがにここまで速いと武器になるとは思うが、やっぱりひとつひとつのボケが浅い。かといって浅いボケを積み重ねていけば分厚くなるというものでもなく、むしろ平坦さが目立つことになる。観ているほうも勝負所がわかりづらいため、かなり過激なことを言わないと、なかなか引っかからずに言葉が流れてしまう。

 

しかし以前よりは面白くなってきていると思う。

 

ハマカーン

1本目と2本目で同じ方向性のネタを持ってきながらの、ほぼ完全優勝。ずっと浜谷頼みだったコンビが、神田「うの弟」のキャラクター=「女子力」を発掘することで、ようやく二人のレベルが揃った。

 

例の「下衆の極み」ネタの型を守るのか脱ぎ捨てるのか、最近はその選択を迫られている苦しさを感じていたが、ここへ来て「下衆の極み」系のキラーフレーズをまともに力まず、ひたすら雑に扱うという、意外な突破口を見出した。それにより、過去のイメージを武器にしながらも、そこに縛られない自由度を獲得するという、一挙両得なバランスを手に入れたような格好。

 

あの2本目ならば、審査に迷う余地はない。

 

オジンオズボーン

名前遊びの部分が特徴的に見えるが、その実中身はオードリー型のすれ違い漫才。名前いじりの部分も基本的には駄洒落なので、どうしてもボケとしては浅くなる。いかに「言いたい語感」を繰り出すかが勝負だが、「語感」はさほどではなくとも「言いかた」で何とかする力業が多く、言葉自体の精度が物足りない。言葉を厳しく研ぎすませられるかどうか。

 

《Bグループ》

トレンディエンジェル

看板の「ハゲラップ」ではなく、普通の漫才で勝負に来た。しかし本当に普通の漫才だった…。

 

NON STYLE

M-1』優勝時に比べるとややテンポダウンしたとはいえ、相変わらずスピード重視ではあるのだが、ウーマンラッシュアワーの後に観ると遅く感じてしまい、武器であるスピードは完全に無効化されてしまった。そのぶん個々のボケのクオリティが上がっているかというと、あまり変わっておらず、むしろ後退した印象。

 

近ごろはスピード一辺倒ではなく、ボケの精度が徐々に上がっていると感じていただけに、やや肩すかしだった。

 

【磁石】

いつも通りネタの完成度は高いのだが、優等生的印象が抜けず。中盤以降の「ブスいじり」には、さすがに一部女性客が引いていたように感じた。ルックスが際だってイケメンでもブサイクでもないので、どの高さの目線からの攻撃なのかがわかりづらく、笑っていいのか悪いのかわからないような空気になってしまった。

 

締めの言葉「そんな感じで~す」は、常套句を避ける工夫なのだろうがやはり印象は悪い。

 

【千鳥】

キャラクター、というよりはさらに絞って「珍名さん」と喋りかた勝負のネタ2本。昨年大会の延長線上ですでに出来あがったスタイルだが、想定外の返答がポロポロ出てくるのがちょうどいい具合の「崩し」になっていて、思ったほどカチッとしすぎないのが千鳥の魅力。

 

ただ、崩しすぎて脱力する時間帯も結構あるので、全体の濃度がどうしても犠牲になる。しかし他人にマネのできないスタイルであることは間違いない。

 

《Cグループ》

スーパーマラドーナ

いろんな具を詰めすぎて、何弁当だかわからなくなってしまったような印象。かといって幕の内弁当と言い張るには、全体の完成度が低い。一つ一つのボケによってツッコミもネタの大枠もその場その場で変化してしまうため、どういう姿勢で勝負したいのか、文脈がくみ取りづらい。

 

枠組みが途中で変化してしまうと、前のボケを後に生かすことが難しいので、使用する型をある程度は絞る必要があると思う。

 

アルコ&ピース

内容だけでなく、文体や構成のレベルから組み立てて(そして崩して)くるスタイルは、明らかに異彩を放っていた。

 

既存の漫才やコントの型をリスペクトし飲み込んだうえで、その外側にもうひとまわり大きな枠組みを拵えたようなスケール感のある構成は、少なくとも漫才というジャンル内において間違いなく新しさを感じさせた。

 

ただ審査員のテリー伊藤も言っていた通り、こういった冒険的なスタイルは2本目のハードルが高く、健闘はしたものの、やはり1本目を越えることはできなかった。

 

笑い飯

爆発力はありながらも、ネタによる当たりはずれが激しいのがもはや彼らの個性だが、今回は明らかに後者だった。

 

どうも歌ネタは過去あまり良かった記憶がないのだが、なのになぜここに歌ネタを持ってきたのかという疑問が残る。他にもっといいネタがあるはずなのだが。

 

笑い飯の歌ネタの場合、歌のイントロが長すぎたり、歌詞を替える肝心の部分へと辿りつくまでに時間が掛かりすぎたりと、観客が待ちきれずに全体が間延びしてしまうパターンが多かったのだが、今回は歌い出し部分が主戦場だったため、そういう問題はなかったように見えた。

 

ただ、これも彼らにありがちな問題なのだが、前半から後半に向けてボケが徐々に軌道を外れてシュールに羽ばたいていく、という理想的な上昇カーブを描けず、わりと平坦に同じレベルのボケが後半まで並んでしまい、それがむしろ尻すぼみ感につながってしまった。いいときの笑い飯はもっと後半に向けてぶっ壊れていく感覚があるのだが、ちょっと小さくまとまってしまった感があった。

 

エルシャラカーニ】(ワイルドカード

言い間違い系の極地とも言うべき、まさに唯一無二のスタイル。

 

しかし感覚派に見えるそのボケの一つ一つは、かなり論理的に練り込まれているため、観ているほうは以外と左脳を酷使することになる。その意外な理屈っぽさを正面から受け止めて面白いと感じるか、適当に受け止めた上で「理論的すぎる」と感じるか、あるいは受け止めきれず単に疲れると感じるか。

 

そこのハードルの高さこそが持ち味でもあるので、ハードルを下げるわけにもいかず、ならばどう入口を作っていくのかというのが、彼らの抱え続ける大きなテーマだろう。

 

 

最後に、番組の運営自体は、余計なことを長々とやりすぎていた昨年からは大幅にシェイプアップされた。これだとたけしのボケ部分以外は『M-1』と何ら変わらないが、大会の緊張感を高めるという効果を考えると、これは改善と捉えていいと思う。ネタだけでなく番組全体の作りも「量より質」を選んだ結果に。

 

それにしても審査員の人選には相変わらず疑問が残るが、こういう大会は結果として順当に良いネタをやったコンビが優勝することが多いというのも、不思議だが事実ではある。