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『夏が来た!! HEY!HEY!HEY! お台場“生”の歌祭り』2012/7/9放送回~生のボケが持つ笑いの牽引力~

最近の松本人志はまとめのコメントがやたら上手い。その上手さはどの上手さかというと落語的な上手さで、たとえば鈴木奈々のような天然系タレントが2分かけて喋ったオチのない話を、ひとことで完全に表現しつつ若干のひねりを加えてオチをつける、そんな能力のことである。

ただその上手さが良いかというと、ダウンタウンを観続けてきた世代としてはむしろ寂しさのほうが大きかったりする。その場を上手いことまとめる能力というのは、ある種ビジネスマン的な能力であって、「まとめる」とはつまり「現実を矮小化する」作業である。

それは才能というよりも、経験によって身につく能力なのではないか。僕が不安に思うのは、「他の芸人も皆、ゆくゆくはそう(上手いこと言うように)なっていく」というパターンをすでに知ってしまっているからで、あの天才・松本人志までもがそんな一般的なルートを辿ってしまうのか、と考えるといつも残念な気持ちになる。

だがこの日の松本は違った。彼は場をまとめるよりもむしろ、場をかき乱すような発言をところどころ連発することで、「荒らし屋=ボケ」としての本能を久々に見せてくれた。そう、ボケる力のある人間にはやっぱり、まとめるよりも荒らす方向の笑いを求めたい。

特にローラとの会話の場面。初めてテレビで歌を披露することになり、いつもと違い緊張してすっかり上の空のローラに、何かにつけ「くりぃむしちゅー」というNGワードを連呼し、それを浜田に指摘される前に自ら「あー! 言ってもた! 絶対言ったらアカンやつやのに! 絶対言ったらアカンやつやのに!」(注:詳細うろ覚え)といって頭を抱えるというくだりをしつこく繰り返す様は、観客も視聴者もスタッフも置き去りにしてぶっちぎるような思い切りの良さと往年のキレを感じさせた。

そもそも松本のやってきた笑いとは、観客を置いてけぼりにするところからスタートしたと言っていい。「観客や視聴者のリクエストに応え、流行に半歩遅れてついていく」というマーケティング的な笑いではなく、常にわからずやの観客を、強引にねじ伏せ教育するような形で先頭を突っ走ってきた。少なくとも『ごっつ』終了までの彼には、間違いなくそういう牽引力があった。そこまで開拓力のある芸人は、残念ながらそれ以降登場していない。いまだに若手芸人の目標は松本人志であり続けている。

だからこそ、僕は松本に「上手いだけの人になって欲しくない」という思いが強いのだが、実際のところ彼はもちろん上手いだけではなく、『ダウンタウンDX』等でのコメントを聴いていても、常に上手さの上にきっちりと悪意をトッピングして笑いを誘うひねりを失ってはいない。ただ、この先どこかの段階で、上手さしか残っていないという日が来るのではないかという不安は常にあって、多くの芸人は加齢とともにそうなっていくという事実がある。

この日の放送が特別だったのは、何よりも生放送だったということ。つまり尖った発言もカットできないという状況であったわけで、その自由さあるいは緊張感が松本を生き生きとさせたのか、あるいは普段から果敢なボケをしているものを、編集でカットして上手いこと言っているところだけを使われているのか。個人的な印象では、この日の放送を観る限りどうも後者のような気がしていて、そこにはそうであって欲しいという僕の願望も含まれている。「面白いとこが使われていない」という状況が彼のような大物にまで頻繁に起こっているとしたら、それは芸人にとってとても悲劇的なことだが、そのぶん芸人本体の才能がいまだ輝きを失っていないことが保証されることになるからだ。

そのへんの真相はわからないが、とにかく生の松本人志が観たいと、久々に強く思った。そういえばダウンタウンの番組は生放送が少ない。映画や『MHK』のように作り込んだコントよりも、今の松本には勇気ある生放送番組こそが必要なのではないかと、ふと思った。「ふと」と言うわりには結構考えた上で思った。