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ドラマレビュー『MIU404』~ベタなジャンルを圧倒的「奥行き」で切り拓いた刑事ドラマの新境地~

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刑事ドラマはすでに飽和状態にある。それは間違いのない事実だ。1クールに何本もの刑事ドラマが濫立するのが当たり前の状況が続いている。

だが飽和状態にあるということは、それだけそのジャンルの需要が多いということの証左でもある。ここはドラマ制作者の悩みどころだろう。それでも需要に応えてそのメジャーフィールドへ飛び込むのか、あるいはもっとニッチで手垢のついていないジャンルへ設定をズラすのか。

あえて飛び込むならば、食い荒らされたその領地の中で新境地を切り拓く必要がある。はたしてそんなスペースはまだ残されているのか。それを試みながらも、結果新たな側面を見せられず「刑事ドラマ」という巨大ジャンルに飲み込まれてしまう作品も多い。

結論から言うと、この『MIU404』というドラマは、その「刑事ドラマ」という保守的なジャンルに新たな風穴を開けた。見事に新境地を切り拓いた。まだまだそこに耕すべき土地があることを、身をもって証明してみせた。

なにしろ『逃げ恥』『アンナチュラル』『獣になれない私たち』の脚本家であり、さらには前クールのベスト深夜ドラマ『コタキ兄弟と四苦八苦』で改めてその実力を見せつけた脚本家・野木亜紀子によるオリジナル脚本である。

むしろ他とはかぶらないピンポイント設定で評価を高めてきたいま一番人気の脚本家が、あえてど真ん中の「刑事ドラマ」というジャンルにわざわざ挑戦するからには、何かあるはずだ。そのまんまのベタな「刑事ドラマ」などやるはずがない。開始前に抱いたその予感と期待は、見事に叶えられた。

このドラマが切り拓いたもの、それはあらゆる意味における「奥行き」である。それは善の奥に悪が潜んでいることもあるという奥行きであり、しんどい中にも笑いがあるという奥行きであり、各キャラクターが互いに影響を与えながら揺れながら成長してゆくという人間関係の奥行きでもある。

まず第一の善と悪について。刑事ドラマを観るからには、多くの視聴者が正義が悪を打倒する姿を観たいと思っている。そうでないならば、刑事を主人公に置く意味がないとも言える。だが現実には、正義も悪も絶対的なものではないということを、誰もが知っている。

だからこそ逆にフィクションの世界くらいは正義が絶対であってほしい、という願望もあるが、その単純明快さがリアリティを損なうことも少なくない。だがどうすれば、そんな意図的に単純化された典型的な勧善懲悪から脱却することができるのか。昨今のあらゆる刑事ドラマは、そこを模索しつつ苦戦してきたと言っていい。

そこに対して『MIU404』というドラマが試みたのは、善だけでなく悪にも寄り添って考え続けるという繊細なアプローチだ。もちろんその先に安易な答えなどないし、銃を撃ちまくって見るからに悪そうな悪党を一網打尽にするようなわかりやすい爽快感は、そのぶんやや目減りするかもしれない。

だが典型的な勧善懲悪をやらないならば、悪にも丁寧に焦点を当てる必要がある。悪にも様々な種類があり、常に善に隣りあっていて、誰もが少しでもつまずけばそちらに転んでしまうような悪もある。本作における蒲さん(小日向文世)のように……。

生まれながらの悪人など存在せず、悪には悪の理由がある。それは許し難い理由かもしれないが、そこにもある種の真実は隠されている。絶対的な正義と悪ではなく、その両者のあいだに存在する無数のグラデーションを丹念に追うことで、このドラマは正義と悪という二つの面のあいだに、奥行きのある立体的な領域を描き出した。

そして二つ目の奥行きは、シリアスとコメディの容赦なき両立である。代表的な例としては、メロンパン号内における移動中の二人の会話であるとか、「機捜うどん」であるとか。

人の命がかかったしんどい状況下にあっても、人は人間である以上ユーモアを必要とする。それは物語を前に進めるために必要な要素ではないかもしれないが、それこそが人間の奥行きというものであるのだから、カットしてはならない重要な要素のひとつである。

三つ目は、人間同士の関係性がもたらす奥行きだ。人がチームになって動く以上、互いに少なからず影響を与えあうものだが、その影響によって揺れ動く心情をリアルに描き出せるドラマは少ない。よく「キャラ設定」というように、基本的にキャラクターというものはブレずに設定されそこに置かれるものであって、あまり無闇に変化されるとストーリーに混乱を招くとされているからだ。

しかしリアルな人間はけっしてそうではない。常に揺れ動く存在としてそこにある。誰もが自分という人格を持ちながらも、互いに影響を与えあって生きている。そうやって影響を与えたり受けたりして迷いながら生きる姿こそが、キャラクターに命を吹き込む。

逆にキャラクターの芯がしっかりしているからこそ、どんな影響を受けようが成長してゆくことができるとも言える。核心に揺るぎないものがあるからこそ、どんな影響にもそこを崩される心配がなく、寛容に受け入れることができる。対して芯がない人は、ちょっとした影響で人格が壊れてしまう可能性があるから、必然的に外からの影響に対して守備的になる。

――と、そんなことを考えながらネットでこのドラマについて検索していたら、公式HPに掲載されたインタビュー記事に行き当たった。特に最終回前に行われた以下の綾野剛のインタビューが素晴らしくて、自身が演じた伊吹というキャラクターに対する理解の深さが、とても的確な言葉で表現されている。

【公式HPより】

https://www.tbs.co.jp/MIU404_TBS/interview/vol10.html

ここで語られている内容はインタビューに対するその場の答えというよりも、彼が演じながらずっと考えてきたことを言葉にしているように見える。ここで伊吹というキャラクターを表現するために使われている力強い言葉の数々は、彼が役柄に対して真摯に向きあってきた時間の蓄積をたしかに感じさせるものだ。ここまで理解を深めたうえであの真っ直ぐなキャラクターが生み出されていたのかと、改めて感心してしまう。

公式HPには他の出演者たちのインタビューも掲載されているので、『MIU404』を観ていた人は、キャラクターへの理解や共感を深める手がかりとしても、ぜひ読んでみることをお勧めする。

インタビュー中で綾野剛も言っているように、本作は刑事ドラマというジャンルに新しいスタンダードを打ち立てた作品として、長く語り継がれることになるだろう。これからの刑事ドラマは、「『MIU404』以前」と「『MIU404』以降」という時間軸で語られることになるだろう。