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『就活家族~きっと、うまくいく~』/容赦なき「因果律」がもたらす拡散と集約のダイナミズム

就活家族

今どき珍しいほどに「因果律」の厳しいドラマだった。視聴者のリアクションから逆算した「ご都合主義」が蔓延する昨今のドラマ界において、ここまで硬派な作品は貴重であり、むしろ新鮮ですらあった。

ドラマの原動力とは、基本的に「火事場の馬鹿力」である。人間が追い込まれた時にどんなアクションを起こし、何を言い出すのか、誰もがそれを観たがっている。

しかしそこでより重要なのは、実際にキャラクターが発揮する「馬鹿力」のほうよりも、実のところ「火事場」という危機的状況のほうである。まずは「火事場」というピンチに追い込まれなければ、人は「馬鹿力」を発揮しようがないからだ。ピンチでもないのに「馬鹿力」を発揮するキャラクターは、文字通りの「馬鹿」に見えてしまう。

登場人物の言動が状況にどんな影響を与え、どのように動かしていくのか。その影響がポジティブであるほど良いような気がついしてしまうが、そんなキャラクター思いの展開をこそ「ご都合主義」と呼ぶ。観ているほうは、「なんかこの人たち、ほっといてもうまくいくんじゃないの?」という気分になり、それならば「じゃあ観なくてもいいか」となってしまう。「火事場」の予感がない作品を、人はなかなか観ようとは思わない。

その点、観る者を惹きつける作品とは、登場人物の言動が、いちいちこれでもかというくらい状況にネガティブな影響を与え続ける作品のことである。良いことが起こったあとにも、その影響で必ず副作用的に悪いことが起こる。そして状況の悪化は、さらに悪い状況をもたらす。それはまた、人から人へと連鎖してゆく。

実のところ当初、タイトルに取ってつけたように含まれている「~きっと、うまくいく~」というフレーズに、一抹の不安を感じていた。昨今の無責任なポジティブ・シンキングを押しつけるJ-POPの歌詞のように、あまりにアバウトな楽観がそこに見えたからだ。

しかし作品を最後まで観た今となっては、その希望的フレーズが、むしろ家族の追い込まれた絶望的な現状を示唆していたということに気づく。「(この先)きっと、うまくいく」というのは、「(いまのところ)全然うまくいっていない」ということだから。とはいえ題名につけ加えられたこの一節は、ドラマを観る前の視聴者にとっては蛇足であるのも確かで、少なからず作品の「ハク」を損なうものであったかもしれない。

一流企業の人事部長である父(三浦友和)、私立中学の教師である母(黒木瞳)、宝飾メーカーで働きはじめた娘(前田敦子)、就職活動中の息子(工藤阿須加)。それぞれの周囲に致命的な問題が発生し、それに手を打てどもなかなか上手くいかず、あるいはむしろ事態の悪化を招きさえする。そして家族四人が各個に抱えていた複数の問題が、もがけばもがくほどにこじれていく中でやがて複雑に絡まりあい連鎖。互いの状況に思いがけぬ影響を与えあいながらひとつの大きな渦を形勢し、最終的には「家族」という大もとのテーマへと回帰してゆく。

その「拡散」と「集約」のプロセスは、コンパクトな設定に反して非常にダイナミックな道のりであった。いや日常に則したコンパクトな設定であるからこそ、ちょっとした心の動きすらダイナミックに感じられたのかもしれない。そしてそのダイナミズムの源泉には、「何をやっても上手くいかない」というもどかしさを多分に含んだ厳しい「因果律」がある。

「近ごろのドラマはご都合主義が目に余る」と感じている人にこそ、観てほしい本格派ドラマである。なにも猟奇殺人や不治の病に頼らずとも、スリルや緊張感を生み出すことは充分に可能であると見事に証明してみせた力作。