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『真田丸』いよいよ終盤、描かれすぎた淀君と幸村の信頼関係が誘発する懸念と期待

大河ドラマ『真田丸』

大河ドラマ真田丸』におけるキャラクター設定に、ここへきて無理が目立ちはじめている。三谷幸喜脚本による新解釈のツケは、やはり物語後半に少なからず負荷をかけるということらしい。特に歴史ドラマは結末が決まっている以上、斬新なキャラクター設定はどこかに齟齬を生じさせることになる。そこは歴史物ならではの難しさだろう。

特に気になるのは、淀君(茶々)と真田幸村(信繁)との関係である。僕は淀君が物語に登場した4月の時点で、以下のようなツイートをしていた。素朴な疑問だが、そこにはすでに懸念の種があった。

この『真田丸』というドラマの中で、幸村と淀君は、出逢った当初から殊に親密な関係として描かれてきた。淀君は幸村を大いに信頼し、秀吉に言えないような悩みや弱味も幸村には漏らした。少なくとも淀君にとって、このドラマ内で最も信頼できる人間は、側近の誰でもなく幸村であることに疑いはなかった。

だがその描き方には、歴史上の結果から逆算すると、やはり無理があった。同じく9月のツイートを引用してみる。

大坂の陣において、豊臣方は愚かな判断の連続に運命を委ねることになる。その中心にいるのは、淀君とその息子である豊臣秀頼である。そしてこの三谷脚本において、秀頼は利発な青年として描かれている。

豊臣方の決定権は、この二人のどちらかにしかない。淀君は幸村を元来信頼しており、秀頼も幸村の知性に信頼を置きはじめている。だとしたら、すべて幸村のアイデアどおりに事は進むはずなのである。幸村はじめ浪人衆と常に対立する乳母や叔父(織田有楽斎)の意見など、ものの数ではない。淀君は幼少期から乳母に特別な信頼を寄せているようには描かれず、有楽斎との関係についてはまったく描かれていないからだ。

それに対し、淀君と幸村の信頼関係は、遥かにぶ厚く描かれてきた。さらには淀君もまた、かつて様々な作品内で作り上げられてきた無知でヒステリックな悪女像とは異なり、本作においては冷静かつ利発な人間として描かれている。

だとすれば幸村の妙案は、百発百中で通るはずなのである。それで家康に勝てたかどうかはもちろんわからないが、少なくとも幸村を中心に、トップへの風通しの良い組織を組み上げることができたのは間違いない。

今話(第44回「築城」)では、最後にようやく秀頼の一存により、辛うじて幸村の案が最低限認められることとなった。しかしここで秀頼と幸村の信頼関係を強めてしまったことも、おそらくはこの先の物語展開を難しくする足枷になるだろう。全体としてはあくまでも、「風通しの悪い組織」として大坂方を描かざるを得ない以上は。

現状では、とにかく淀君の演技が難しくなっている。「幸村への根本的な信頼はありつつも、幸村を含む浪人全体はけっして信頼しない」という矛盾した距離感を要求されるからである。

この先、ゴールへの抜け道があるとすれば、やはりこのドラマが秀吉の晩年をそう描いたように、淀君をここから完全に「ご乱心」モードへと持っていくしかないのではないか。

つまり結局のところは他作品が描いてきたように、「ヒステリックな淀君」へと変貌させるしかないように見えるのだが、眼前に迫り来る戦火により淀君をどのように変身させてゆくのか、そこにはむしろ三谷脚本への期待のようなものさえある。なぜならばこの『真田丸』には、あの鋭敏な秀吉が徐々に鈍磨し乱心してゆく晩年を、見事に描き切ったという実績があるからである。

かなり難しい綱渡りだとは思うが、歴史の新解釈に挑戦する脚本家にとって、間違いなく腕の見せどころである。

大河ドラマ真田丸』をより深く、多角的に味わうためのルーツ的名ドラマ2作】

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