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2016夏ドラマレビュー『家売るオンナ』~ケレン味溢れるキャラクターと物語の強度~

とにかく「ケレン味」の強いドラマである。その思いきりの良さがこのドラマの入口になり、おそらくは出口にもなっている。

冷酷無比でありながら確実に結果にコミットしてくる主人公・三軒家万智(北川景子)は、同局同枠の大ヒット作『家政婦のミタ』の三田灯(松嶋菜々子)を連想させるが、こちらはあそこまで暗鬱ではなく、ミステリアスではあるがもっとカラッとしている。口数はだいぶ違うが、トリッキーな手法で問題を解決へと導く策士でありながら、どこか爽やかな品の良さを漂わせているという意味では、むしろ『リーガル・ハイ』の古美門研介(堺雅人)に近いかもしれない。ドラマ全体におけるコメディとシリアスの配合比率も、『リーガル・ハイ』同様、テレビドラマの平均からすると大胆にコメディに寄っている。

主人公がカッと刮目し、どこからか風を浴び髪をなびかせ「GO!」と発するその「キメ」の演出は、視聴者に間違いなくある種の「違和感」を感じさせるはずだ。しかしドラマにおいてよく言われる「キャラがある/ない」という表現の意味する「キャラクター」の正体とは、まさにこの「違和感」のことである。つまりここで言う「違和感」とは、それ自体悪い意味でないどころか、むしろ必要不可欠なものだと言える。

問題はその「違和感=キャラクター」に、土台となる物語設定の強度が耐えうるのか、という点にこそある。物語の駆動力が主人公のキャラクターただ一箇所にしかないと、単なる主人公のひとりよがりに物語世界が丸ごとつきあわされているような不自然な状態に見えてしまう。

つまり主人公のキャラクターが強い場合、物語の展開にもまたそれを支えうるだけの強度が必要で、両者の強度が同レベルで拮抗したときに初めて生まれるのが、フィクションとしての面白さであり、現実とは異なる「リアリティ」なのではないか。「リアリティ」というと単に「ありふれた日常に近い状態」だと思われがちだが、その実態がそんな浅薄なものでないということは、明らかに現在の日常設定からかけ離れたSFや時代劇の中からも、「リアリティ」というものが確実に感じられるという事実が証明している。

本作はどうしても主人公のキャラクターに注目が集まりがちな作品であり、現に僕もそこを入口に設定してこの文章を書いているが、このドラマが単なる「キャラもの」と一線を画しているのは、その強烈なキャラクターと互角に戦えるプロットを有しているからである。

問題の発生から解決に至る道のりにおいて、ユーモアも努力も知識も知恵もほぼ無駄なく有機的に機能し、そのいずれもがキャラクターの動力を助けるサブエンジンとして駆動している。そして解決策の中に必ず逆説的な真理が含まれているというのは、『リーガル・ハイ』にも通じる非人情型主人公に不可欠な要素であり魅力と言えるだろう。

だが冒頭にも書いたように、キャラクターの「ケレン味」というのは人を惹きつける魅力である一方で、時に人を引かせる要素でもある。物語世界にいったん入り込んでみれば必要不可欠だと感じられるキャラクターの「ケレン味」も、物語の入口付近で迷っている人にとっては踵を返す第一の理由になり得る。近年の視聴者は、以前に比べて見切りが早くなったとも言われるが、個人的には今季イチオシの作品。ぜひいったん物語世界にしっかりと足を踏み入れてから、その是非を判断することをお勧めする。

『家売るオンナ』(日本テレビ/水曜22:00~/主演:北川景子

http://www.ntv.co.jp/ieuru/

【初回視聴率】12.4%