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『日刊サイゾー』ラジオ批評連載コラム「逆にラジオ」第29回更新~『TENGA茶屋』~

前置きが長くなるが、まずはケンドーコバヤシという芸人の生き様の背景にあるエンターテインメント業界全体の問題点について考えたい。前置きどころか本題かもしれない。かなり遠回りするが必ずつながる話なので、今のエンタメ業界の有り様に少しでも疑問を感じている人は、読んでともに考えてみてほしい。

ある時期から、あらゆる業界に「女性受け」をあからさまに狙うコンテンツが激増した。本来男性向けだったものまでが、あからさまに女性向けにシフトしはじめた。それはマーケティングが進んだことにより、物を買うメインの客層が女性だと判明したせいもあるし、また一方で女性が熱心に面白いものを探した結果として自分のほうを振り向かせた、という側面ももちろんある。

たとえば僕の関わってきた少年漫画が顕著な例で、文字通り少年向けだったこのジャンルの作品に、近年では多くの女性ファンがつき、もはや少年漫画は少年だけのものではなくなった。それは一見「間口が広がった」という意味では、良いことのように思える。

しかし作り手というのは貪欲なもので、そうなると今度はあざとく「女子受け」を狙った作品が次々と出現する。だが皮肉なもので、女子たちが当初少年漫画にハマッた理由は、それが本質的に「男子向け」に作られていたからであり、それが女子のほうを振り向いた時点で魅力の大半を失う。女の子が振り向いてくれぬ男子の背中にそっと憧れるのと、男のほうからガンガン告白されるのとでは、まったく意味が異なる。

だから少年漫画は、結果として女子人気を獲得したとしても、最初からそこを狙って作ってはならない、という感覚が作り手の側にはかつてあった。しかし。

今やそんな感覚を持って何かを作っている人は、おそらく少数派になってしまった。なぜならば、明確に「女子受け」を狙って作ったものを、女子が「そういうもの」として抵抗なく受け入れるようになったから。そういう作品は実際に売れている。需要と供給が一致しているのであれば、とりあえずそこに問題はない、ということになる。それが商業社会というものだ。

すでに芸人の世界も、そういう大きなエンターテインメントの波に巻き込まれている。女性ファンが多いということよりも、番組で扱うテーマにしろコントの設定にしろ、意図的に女性向けに寄せていってるということに疑問を感じる。それが本来やりたかったことであればいいし、やっているのがオネエならば素直に納得できるのだが、明らかに自分を偽って寄せていくことには、猛烈な違和感を感じる。そこには数字から逆算した構図が見えるからだ。

改めて言っておくが、結果的に女性ファンが増えることは素晴らしいことだと思う。むしろ狙わずして女性ファンが多くついているとしたら、それはやはり驚異的なことだろう。ケンコバの魅力とは、まさにそういうことだ。彼は決して「女子受け」を狙わないのに好かれている。許されている。万が一狙った場合には、「今のは女性に受けようと思って言いました」と照れ隠しに速攻で自白する。この潔さこそがエンターテインメントの本質であるはずだし、そうであってほしいと願う。送り手が受け手にすり寄っていくのではなく、受け手を惹きつける泰然自若のスタンス。それはもちろん理想形であり至難の業だが、僕はそこにしかエンターテインメントの希望を感じない。

『日刊サイゾー』のラジオコラム第29回は、そんなケンドーコバヤシの魅力に迫るために書いた。

ケンドーコバヤシの「許され力」がすべてを笑いに昇華する、性的逸話の解放区『TENGA茶屋』】

http://www.cyzo.com/2013/09/post_14513.html

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