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『日刊サイゾー』ラジオ批評連載コラム「逆にラジオ」第9回更新~『ピース又吉の活字の世界』~

『日刊サイゾー』のラジオ批評連載コラム「逆にラジオ」弟9回は、今や文学好き芸人といえば太田光よりもこの人、というピース又吉の番組に関して。

【笑いと文学をつなぐ究極読書芸人の隠れ家的ユートピアピース又吉の活字の世界』】

http://www.cyzo.com/2012/11/post_11882.html

芸人パーソナリティーでありながら、異様に落ち着いた声のトーンが往年の名番組『五木寛之の夜』を思わせるこの番組。ラジオで本のことを語る芸人といえば『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』が以前はお馴染みだったが、なぜか太田光は自分が小説を書くようになったあたりから、本の話をあまりしなくなってしまった。

そもそも太田の趣味は、ルーツとして純文学を一部含んではいるが、基本的には直木賞路線のエンターテインメント系であり、むしろ最近の純文学に関しては「古くさいもの」として否定的なスタンスを示すことが多い。ただ、彼の言う「最近の純文学」というのはいまだ村上春樹のことだったりするので、単に今の純文学や、アメリカ以外の世界文学をあまり読んでいないというだけなのかもしれない。本人も直木賞を欲しがっている。

それに比べると又吉の趣味は明らかに芥川賞よりで、すでに太宰治好きとして有名(太宰は芥川賞とってないけど)だが、番組中には古井由吉の作品に関する話なんかも出てくる。いや別に純文学を読んでるから凄いというわけではなくて、文学とお笑いを同列に語っているそのスタンスがいいなと思う。

そもそもみんな、純文学をありがたがりすぎなのだ。たとえばカフカドストエフスキー芥川龍之介のような、純文学と呼ばれる小説が現代に読み継がれているのは、それらが重要なメッセージや歴史観を提示しているからではなく、単純に面白いからだ。主人公が突然虫になったり、地下室に住んで世間を呪っていたり、河童の世界だったり、純文学の設定には、実はコント向きなものが多い。

最近では奥泉光×いとうせいこうの『文芸漫談』が、純文学を「笑い」という側面から再検証しているのが抜群に面白いが、それに通じる文学の楽しみかたを、又吉はお笑い芸人サイドから魅力的に語っている。

もちろん番組は文学の話だけでなく、そこから派生する彼自身についての逸話も意外な角度があって面白く、その独特の角度こそはまさに文学的な笑いを生む角度なんじゃないかと思う。