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『キングオブコント2012』感想

決勝進出者のラインナップを見た時点で、今回は明らかに無名選手が多いのは間違いなく、地味というよりはサッカーでいうところのU-23五輪代表のような、あえて実力者を排除しているような制作者サイドの狙いを感じたのだが、結果的にはいつものように「半数はやっぱりちゃんと面白い人がいて、しかし何組かはなぜこのレベルの人を残したんだろう?」という感触に終わった。ただそれでも事前の期待の異様な薄さからすると、期待以上だったということにはなると思うが、やっぱりダークホースがそんなに大量にいるはずもないのがこの世の常。多かったらダークなホースとは言わないので。

 

以下、登場順に感想を。

 

さらば青春の光

一本目は意外と評価が高くて驚いたが、実際にはただちょっとした豆知識(兆の先の数字の単位とか、曾孫の先の先祖の呼び方とか)を繰り返しているだけなので、創造性が感じられなかった。それでもその知識の使い方やシチュエーションに意外性があれば面白くできるのだろうが、お金を数える場面とか、通常その知識を使うべきところで使っていただけなので、もうひとつひねりが欲しいと感じてしまう。

 

二本目は「痛いの痛いの飛んでけ=いたとん」というコント内流行語を生み出し、その繰り返しによるグルーヴで押し切った感じだった。この大会は制限時間が4分と短いので、ひとつハマるキーワードを提示できた場合、それで最後まで寄り切ったほうが精度を保てるという典型的な例。

 

銀シャリ

ベタな設定のコントの中に、時おりその枠からはみ出すクレイジーな言葉が飛び出してきて、そこを楽しみに耳を澄ましているとかなり面白いと感じる。ただ、ベタと狂気の割合でいうと前者が大きすぎて、それが間違いなく安定感にはつながっているのだが、観ているほうが待ち構えているほどには狂気的フレーズが来ないという飢餓状態に陥ってしまう。

 

前半の安定は必要だとしても、コント後半にはもっと狂気的方向に振り切って、わけのわからないことを連呼するくらいの飛躍があってもいいのではないか。そういう尖ったワードセンスは端々に感じるので、あとは自身がどこを制限してどこを解放していくかというバランスの問題になってくるような気がする。

 

【トップリード】

受け手がどのレベルの言動で笑うのか、その見込みがそもそもズレている上にコントが成立しているので、コントとしてはちゃんと完成しているように見えても、その実ツボではない骨や皮の部分をゴリゴリ押されている状態。押すべきところと引くべきところの判断もなく、とにかく全体に押している印象なので、勢いは自然と出るがそれだけに空回りが目立つことにもなる。

 

かもめんたる

他の芸人に比べると地味でおとなしめな印象だが、ところどころ飛び出してくる言葉に妙な強度があって、ある種の文学的センスを感じた。そのぶんキャラよりも言葉に頼りすぎた作りになっているところが地味さの原因かもしれないが、突拍子もないフレーズの引き出しを持っているという部分にポテンシャルを感じる。個人的にはもっと上位に来てもいいと思った。

 

うしろシティ

二本ともに、短時間の中に強者と弱者の立場が反転するダイナミズムが感じられる構造になっており、その展開力にはワンパターンとはいえ目を見張るものがあった。

 

ちょっと演技がオーバーすぎるのが気になるといえば気になる(気になるといわなければ気にならない)が、二人の関係が微妙な言動により徐々に逆転していくのであろうことを巧みに予感させながら、ラストには思った以上に、完璧なまでに逆転しきるところまで行くという、観ている側の想像力を上手く使いながら期待以上のところまで到達してみせる展開にはもはや爽快感すらあった。もっと上位だと思ったのだが。

 

【しずる】

何よりもスタイルの斬新さで勝負してくるのはいつも通りだが、それだけに二本クオリティを揃えるのが難しいというのも例年通り。

 

いかにも玄人=審査員好みのスタイルの新しさはたしかに感じられるのだが、スタイルに過剰にこだわっているがゆえに、そのスタイル内にすべてが収まってしまうという物足りなさもある。

 

コントの前半、受け手にとってなんだかわからない状態から、そのネタの「型」を見極めるまでの段階の楽しさはしずるの大きな武器だが、いったんその「型」を受け手が受け入れてしまうと、その先はわりと単調な、その枠内における繰り返しに終始してそのまま終わっていくという竜頭蛇尾な印象がいつもある。「型」のクオリティがいつもいいだけに、後半そこからはみ出してどこまで行けるのかを観てみたいと思うのだが、それを4分という制限時間の中でやれというのは酷なリクエストなのかもしれないとも思う。

 

夜ふかしの会

演劇畑というプロフィールから危惧していたとおり、悪い意味で演劇臭い部分ばかりが目立った。ネタになる一歩手前の、あるある過ぎてあるあるネタとしては弱いあるある的状況を、発声と演出でなんとかするというパターンは、他のお笑い芸人たちのネタに比べて弱点と長所が逆転しているぶん、長所の部分だけを見れば新鮮に映るかもしれない。

 

しかしネタ自体の弱さというのは笑いにとって致命的なもの=核の部分であって、当然だが他の長所をいくら並べたところで補える箇所ではない。大人数で声を揃えて叫んだり、完璧なタイミングで動きを合わせたりといった、いかにも練習の成果が伺えるような演出を施したところで、それは面白さにはつながらずただ生真面目さばかりが印象に残る。

 

【バイきんぐ】

駄洒落的な言葉のセンスなど、ところどころ古さを感じさせる部分もあったが、振り切れ具合と思いきりにおいて飛び抜けていた。

 

特に言葉の強弱のつけ方が絶妙で、特別面白い言葉は強く、そこそこの面白さの言葉はそこそこにという、いい塩梅の力加減でテンポを作っていく技術に経験を感じた。あえて技術と言ったがしかしこれは単なる技術ではなく、何が面白くて何がそうでもないかという判断とはつまり、笑いのセンスそのものである。

 

いやもちろん、すべてのフレーズが最高に面白く笑えない箇所が一行もないのが理想だが、現実には説明台詞とかも必要な関係上、最高に面白い箇所とそうでもない箇所を適宜判断して演じていかなければならないわけで、そうなると強弱の判断というのは笑いを組み立てるうえで非常に重要な意味を持ってくる。

 

観ている人にとって何が想定内で何が想定外であるのか、その判断がまず正しくなければ、期待に応える笑いも予想を裏切る笑いもできず、共感も違和感も与えられぬまま終わってしまう。その点、バイきんぐのネタの根底にはその見極めの正しさがあるから、その上に何を乗せても面白くなるような、今回の無双状態を呼び込めたのではないかと思う。納得の優勝。

 

 

最後に。今年の全体的な感想としては、設定や衣装や動きといった派手な要素よりも、各々の言葉のセンスが評価された大会だったように思う。というとコントというよりは漫才に対する評価のように響くが、コントにおいても言葉は重要な役割を担っているのだということを再認識させられた。あとはちょっと、番組としてダウンタウンに頼りすぎだなぁ、とも。